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シコシコアナキスト日誌

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イスラエル兵から逃げよう!逮捕逃走編

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私は、パレスチナのヘブロンで勝手に観光ガイドをやっている。週2、3本ぐらいやる。一回7、8人ぐらい。観光の主要目的場所は、イスラエル軍が元々パレスチナ人の住宅地・農地だった土地を強制的に追い出して作ったイスラエル入植地。この入植地の真横で暮らし、毎日イスラエル入植者から投石を受けているパレスチナ人民家訪問。入植地と入植地に挟まれて農作業が禁止されているパレスチナ農家訪問。パレスチナ民家の屋上に非合法で点在するイスラエル兵の基地見物。イスラエル入植者の建物と隣接したパレスチナの商店街アーケードの天井のフェンス。このフェンスはイスラエル入植者の建物から狙って落とされるブロック、巨大なコンクリートからパレスチナ人を守る。イスラエル兵に夜間に襲撃された民家。パレスチナ人住宅地なのに玄関側が入植地なため封鎖されているエリア。パレスチナ人が住んでいたのにイスラエル人に乗っ取られたマンション。パレスチナ人女性を支援するフェアトレードの店。ブッシュが来たどさくさに間切れて新設された監視カメラ。町のいたるとこに置かれたチェックポイントツアー。金属探知機、IDチェック、パレスチナ人の老若男女、足元から腰まわり、カバンの中までチェックされる。
 それとヘブロンの一大観光地でもあるユダヤ教とイスラム教の聖地、アブラハムモスクとシナゴークにもゆく。濃厚でハードコアなツアーを大体4時間行う。

 それから、一時的に問題が起こっている場所にもゆく。先週、ガザでパレスチナ人がイスラエル兵に20人近く殺された。この行為にパレスチナの若者やこどもたちが怒りの行動を起こした。彼らは、イスラエル兵に3日間投石して抵抗した。しかし、ほとんど当たりもしない投石に対して、イスラエル兵は★ゴム弾(RUBBER BULLET)、サウンドボム、催涙弾を大量に浴びせた。

ここにも勿論ツアーした。まずは、投石する若者やこどもたちのサイドへいった。みんな興奮していた。日本人が8人近く騒乱の中へ入ったせいかチャイナ!チャイナ!とパレスチナの若者が騒いでいた。
 それから、今度は、イスラエル兵のサイドへいってみた。すると、催涙弾でツーリストたちは、むせたり咳き込んでいた。
 ヘブロンの空はイスラエル兵の放つ発砲音と白い煙、パレスチナの若者の叫び声と燃えるタイヤの黒い煙が混じっていた。(余談だが、イスラエル兵はパレスチナの若者の投石なんて簡単に潰せる。いつも一定の距離と時間をかけて対処している。簡単に潰さない点を見ると、ある種、若者に投石をさせることでガス抜きの効果を持たせているような気がする。また、激しい弾圧は国際世論から批判をうける。ゆっくりと長い時間をかけて占領してゆく心理戦にも感じられる。それに対して、じっくりと煮込まれているのがパレスチナ人。)

 それから、ブッシュがパレスチナに来た以来、パレスチナ人の土地に座り込むイスラエル入植者のところにもゆく。イスラエル入植者はパレスチナの女性や子どもが横を通るたびに襲撃する。カメラを回したり、パレスチナ人をサポートする活動家にも襲いかかる。一度、ツーリストに飛び掛ったこともある。

 いつもこのルートでガイドをしている。頻繁にガイドをしているせいかイスラエル兵やユダヤ教の坊さんはわたしを知っている。彼らはわたしの存在をよく思っていない。それでも、わたしを知らないイスラエルの人たちとは仲良くできる。
 余談だが、一度シナゴーク(ユダヤ教寺院)でフランス系ユダヤ人女性の肩を揉んだことがある。この女性は、マッサージが気持ちよかったらしく「はぁはぁ」と感じだした。そこにこの女性の旦那もきた。彼は嫉妬を混ぜながら、男性器をこするジェスチャーをよこした。最後に女性にお礼のキスをもらった。
 彼女がフランス語で「メルシーボクー(ありがとう)」っていうから「ドヤーン(どういたしまして)」と言おうと思ったら、誤って「ピターン」と言い返してしまった。ピターンは英語でビッチ、日本語で売春婦とかそんな感じ。普段、ピターンっていい過ぎてるせいだ。これは本当によくない過ちだ。

 話しがそれた。先週の月曜日、いつものようにツアーでイスラエル入植地の隣に住むパレスチナ人民家を日本人8人で訪ねた。毎晩、入植者からの投石に悩まされている話しなどを聞いていた。
 そこにイスラエル兵のジープがやってきた。数人の兵隊がわたしのところへ向かってきた。さらに兵隊のひとりが、「NOKIA!NOKIA!」と私に迫ってきた。わたしは「NAOKI」という名前だけど、覚えやすいので「NOKIA」と名乗っている。ヘブロンのパレスチナの人々や一部の兵隊はわたしのことを「NOKIA」と呼んでいる。

 この兵隊は以前、イスラエル占領反対デモのとき、わたしを3回逮捕しようとしてきた彼だった。そのつど、わたしは彼から逃げた。
 
 彼はイスで談話していたわたしを逮捕しようとしてきた。しかし、わたしはなにも「非合法」なことはしていない。相手が興奮しているので落ち着いて話した。とにかく、話しは聞くからみんながいるところで話そうといってみた。しかし、わたしの言葉には耳をかさず、彼はただ怒鳴るだけだった。終いには力づくで連れてゆこうとしてきた。わたしはそのまま地面に横になった。さらに、ツアーに同行していた同じ団体の仲間と座ってスクラムを組んだ。そこへ運の良いことに同じ団体の仲間2人もやってきた。そして、彼らは兵隊の盾になってくれた。わたしの仲間たちは兵隊と話をしてくれた。
 わたしは隙を見て、こっそりと民家の裏口から逃げた。一時的に隣の家にかくまってもらった。仲間がそこにやってきた。兵隊がどうしても私とじかに話しがしたいいっているらしい。わたしは迷った。逃げるべきか、兵隊の前に出向くか。

 そうこうしているうちに、民家の家主に早く逃げろといわれた。言われるままにわたしはさらに隣の家に逃げた。すると兵隊がさっきまでかくまってもらっていた家を調べはじめた。このままでは民家にも迷惑をかけてしまう。わたしはオリーブの畑に横になって隠れた。すぐ側を兵隊がわたしを探していた。

 反対側からパレスチナの子どもたちが「NOKIA!」「NOKIA!」と叫んでいる。「あー兵隊にばれるからやめてくれー」と思いながら、息をひそめた。すると、数人の子どもたちがこっちへ来いと呼んでいる。兵隊が背を向けた瞬間わたしは子どもたちのところへ走った。そして、子どもたちに逃げ道を案内してもらった。
 わたしたちは走った。とにかく走った。焦りと不安を振り切るように。宛てもなく逃げるように。わたし自身の旅のように。

 そして、わたしはたまに農作業の手伝いをするパレスチナの農家の家へいった。するとそこに同じ団体のパレスチナ人メンバーがいた。ことの行きさつを話した。彼らは大丈夫だといっていた。そして、わたしを守ってくれた仲間と連絡をとった。兵隊はもうわたしを追っていないということだった。

 その晩、わたしはヘブロンを離れるべきか、留まるべきか迷った。しかし、万が一、また同じ兵隊にあったら、なにが起きるかわからない。それに仲間に余計な世話をかけるのも好かない。だから、わたしは荷物をまとめ、チェックポイントを通らない裏道からヘブロンを離れた。

 ヘブロンを離れるのは本当に悔しい。いつもヘブロンの町を歩くと、みんなが声をかけてくれる。ここはわたしにとって故郷でもある。だから、必ずまた戻る。


 そして、わたしはアズンという村へゆき、活動に参加した。この村は数日前にイスラエル兵がパレスチナの子どもを撃ったり、パレスチナ人民家に押し入ったりしている。夜中にサウンドボムを叩きつけたり、村をジープで走り回ったり、兵隊のやり方は一段と激しい。


 金曜日はビリン村のデモに参加してきた。ビリン村はオリーブの農園が一面に広がる。そこにある日イスラエル兵がやってきて勝手にフェンスを引いたり、オリーブを切り倒した。農民はイスラエル兵の占領を国際法に訴えた。数年に渡る裁判のすえ農民は勝訴した。しかし、イスラエル兵は敗訴したのにも関わらずパレスチナの土地から出てゆかない。だから、毎週金曜日に非暴力デモが行われている。
 わたしのヘブロンツアー参加者の多くが、このデモにも参加している。日本人と韓国人合わせて10人以上参加していた。このデモは、非暴力にも関わらず、いつもイスラエル兵はサウンドボム、催涙弾、ゴム弾を大量に使う。わたしたちはイスラエル兵が勝手に作った「立ち入り禁止線」を越えて前進する。そこにすかさず、イスラエル兵は手榴弾型のサウンドボムを投げてくる。この時、サウンドボムの暴発で飛び散った石が日本人の眉間に当たった。彼は出血しすぐに救急車で運ばれた。

 わたしはずっと前線にいた。まわりを見ると以前イスラエル兵に襲撃されて障害者になってしまった車イスのパレスチナ男性がいた。わたしがいれば、彼は狙われないだろうと思っていた。しかし、イスラエル兵はわたしたちに手榴弾のサウンドボムを投げてきた。サウンドボムはわたしたちの足元で爆発した。この衝撃で障害者の彼は激しい痛みをうけていた。
 さらに追い討ちをかけてイスラエル兵はわたしたちを追ってきた。今度はゴム弾を撃ちだした。わたしたちは走って逃げた。横に、韓国人と日本人のツーリストがいた。まさか、ゴム弾は直接撃たないだろうと思っていたら、ひとりの日本人の腹が撃たれた。一気にやばい空気になった。わたしは兵隊に背を向けて逃げた。するとわたしの隣にいた日本人が背を向けようとしたその瞬間、ゴム弾が彼のメガネを打ち破り目のあたりに直撃した。彼は出血していた。わたしは兵隊に撃つのをやめろと叫んだ。しかし彼らは撃ち続けた。そして、わたしも撃たれた。しかし、わたしの場合はたいしたことはなかった。すぐに救急隊が負傷した彼の手当てをした。不幸中の幸いでぎりぎり眼球には当たってないようだった。そのまま彼は病院に運ばれた。

彼の目は今、内出血のせいで見えない。

わたしは、催涙弾やサウンドボムを大量に打ち込む兵隊たちに質問をしてみた。「一体この武器はひとついくらするんだ?」「この武器はどこから来たのか知っているか?」彼らは黙っていた。
 この武器は、アメリカ産だし、アメリカ政府の支援だ。またアメリカ政府を一番に支援しているのが日本政府だ。わたしには、パレスチナでイスラエル兵に武器を捨てろという権利がある。義務もある。なぜなら、日本政府に回収されたわたしの金の一部がめぐりめぐって、この村で使われているかもしれないからだ。


逃げて、逃げて、逃げて、一発当てて、また逃げる。これゲリラの戦術なり。



★ゴム弾 (rubber bullet)
 弾頭を硬質ゴムで作成した弾丸。多くの場合、弾丸は切れ目の有る円筒状で先端にくぼみがあり、発射されると先端のくぼみが受ける風圧で切れ目に沿って十字形に開いて飛翔する。弾丸の重量やその構造上、有効射程が短く、目標に対して弾丸が貫通することがないので非致死性兵器として扱われる。しかし、至近距離では十分な殺傷力があり、目標にヘビー級プロボクサーのパンチ並みの衝撃を与えるうえ、数m以内では皮膚を貫通する威力のものがほとんどのため、当たり所によっては目標が死亡することも十分あり得る。この特性を生かして大型獣の撃退、警察や軍隊による暴徒鎮圧などに用いられる。Wikipediaより


写真
左 パレスチナ・ヘブロンの店を強制的に閉めさせるイスラエル兵
真ん中 ヘブロンの商店街の安全ネット。隣接するイスラエル入植者のビルから落とされるブロックやコンクリートからパレスチナ市民を守る。
右 イスラエル兵のパレスチナ人殺害に抗議するパレスチナの若者たち。それを狙うイスラエル兵。

ビリン村のデモでゴム弾を撃たれて負傷する日本人  
http://www.youtube.com/watch?v=Fum0JBUMOlg


イスラエル軍によるガザでのパレスチナ人殺害の報復を恐れて警備を厳しくするイスラエル兵。なにかあるといつもこのような調べがおこなわれている。
http://www.youtube.com/watch?v=iokMcKZa6Fc



追記 ヘブロンより

昨日、ヘブロンでは、こども6人が兵隊に難癖をつけられ、雨の中、壁に手をつけたまま3時間立たされていたという話しだ。最後はジープでどこかへ連れて行かれた。

また、わたしの所属する団体のビデオカメラがイスラエル入植者のこどもに盗まれた。

追記2 

イスラエル兵はパレスチナ各地で催涙弾を乱用している。パレスチナ・ビリン村では大量の催涙弾を浴びさせられている。そのせいか癌の発生率が急上昇しているという話し。
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プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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