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シコシコアナキスト日誌

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香田くん

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香田くん

ヨルダンのアンマンにはかつて、イラクで殺された香田証生くんが泊まっていた宿がある。今から3年前この宿から、ひとりのバックパッカーが自力でイラクへ旅立った。

湾岸戦争時から現在に至るまでイラクはアメリカ軍に侵攻されている。この侵攻によって、アメリカ軍は数え切れない程のイラクの人々を殺してきた。また、日本政府はアメリカ軍の支援のために自衛隊をイラクへ派兵している。当然、これらの侵略軍に抵抗するゲリラ(アメリカはゲリラをテロリストと呼ぶ)がイラク国内にはたくさんいる。    
そんな中、三年前、香田くんはアメリカ軍の侵攻に抗していたゲリラに捕ってしまった。ゲリラは彼の解放の条件として自衛隊のイラク撤退を日本政府に要求した。

日本全土に香田くん人質のNEWSが流れた。しかし、日本政府はゲリラの要求を受けいれなかった。そして、彼は殺された。殺される以前はマスコミや世論は彼に同情的だった。しかし、殺された途端、政府をはじめマスコミや世論は手のひらを返し、勝手にイラクにいった彼が悪いと叩きだした。仕舞いには「自己責任」という言葉で彼の存在すべてを抹殺しようとした。

あの日からわたしは、どうしても彼の死が忘れられない。もちろん忘れていることもある、けどつねに胸のどこかにひっかかっている。
それはなぜか。彼がわたしと同じ年だからか?それとも同じ旅人であるからか?アメリカ軍をはじめあらゆる戦争に反対していたからか?彼に対する日本政府の対応にか?死んでしまった彼になおも侮蔑をはき続けたマスコミや世論にか?

おそらくすべてにひっかかっている。大半のマスコミは彼が「なぜ」イラクへ行ったのかなんて語らなかった。香田くんは一体、イラクでなにをしたかったのか?
KODAホテル(香田くんが泊まっていた宿の従業員、サメール氏が香田くんに追悼の意を込めつけた名)に置いてあるノートにその「なぜ」の答えが記されていた。

香田くんは戦争によって傷ついたイラクの子どもたちを助けたいと思った、テレビでは流されない現実を自分の目で見ようと思った。そして行動した。

ノートにはイラクへ行く前に香田くんがサメール氏に渡した写真が貼ってある。この写真にはアメリカ軍の爆撃によって傷ついたイラクの子どもたちが写っている(この写真は後日香田くんの家族がコピーしてサメール氏に送ったもの)。

わたしはアンマンの宿「KODA ホテル」に来るまでは、香田くんがイラクへなんのために行こうとしたか知らなかった。だから、わたしのようにそれらを知らない人のために、ここにそれを紹介したい(香田くんがなぜイラクへ行こうとしたかなど、一部の本や雑誌で言及されている)。

http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/2007/11/blog-post_15.html
(ここにその文章がはってある。みてくり)

 どうしたって、私には香田くんの死が忘れられない。私は、KODAホテルに飾られた香田くんの遺影に炊き立ての飯とウォッカを供えた。そしてお経をあげて供養した。この遺影は香田くんの家族がサメール氏に渡したものだ。

しかし偽坊主だろうが高僧だろうがいくら供養したからってなにか変わるわけではない。変わるのは私の気持ちだけだ。私は、彼の遺志を勝手に引き継ぐだけだ。彼がしたかったイラクの子どもたちを助けたいという気持ちを。そして、彼が残していったイラクの爆撃で傷ついた子どもたちの写真、このような状況をこれ以上作らないための行動をすること。そして、彼の分も生きること。そう勝手に思う。

 このアンマンの宿には、なんだか旅中の香田くんがいるような気がしてしかたない。そして彼は彼と同じように世界を旅する私たちの背中のリュックを後押ししてくれるような気がする。錯覚かもしれないが、そう思う。



追記1 ヨルダンやシリアには多くのイラクの住む場所を奪われた難民が逃げてきている。私の話したイラク人の医師はアメリカ軍が多くの人々を殺してきたことについて話してくれた。悲しみか怒りのせいか言葉がつまり話が途中で中断してしまった。

そして、その晩、私と数人の日本人とイラク人とアメリカ人とオーストラリア人とドイツ人で、パレスチナ人がアメリカでタクシードライバーとして働くという映画「THE ZIGIZIGI LAND」を観にいった。映画自体はパレスチナ人のタクシードライバーが乗客とのやり取りを通して、アメリカ社会全体の病理をシニカルに鋭く切り開き、イスラエル政府によるパレスチナ人へのアパルトヘイト(隔離政策)を痛烈に批判している。

ひとつの映画を通してパレスチナ問題をイラク人、アメリカ人、日本人、オーストラリア人、ドイツ人、○○人という括り、国家や民族、立場を越えて、一個人として語り考えることは意義あることに思った。これは、映画や芸術が持つ力にも思う。

それに、厄介な立場を除いてしまえば、個人としてはみんな戦争に反対している。ここから、パレスチナ人隔離政策、イスラエルの侵略、米軍のイラク侵略、それを支援する日本政府をはじめ各国の政府のやり方を変えてゆく第一歩になると思う。あとは、日々の生活の中に実践として取り入れてゆければ、ゆっくりとでも、草の根はぶっとく地に根をはると思う。

追記2 レバノンのパレスチナ難民地区へいってきた。銃痕が残る下町を粋のいい子どもたちが走り回っていた。町はさまざまな店でにぎわい活気に溢れていた。町中にパレスチナの旗が揚げられ、そこいらじゅうにパレスチナ解放のポスターが貼ってあった。まだまだ、パレスチナへの帰還への道は終わっていない。世間が勝手に忘れても、彼らはアスファルトを突き抜ける雑草のように生きている。



 そこでわたしは一軒のパレスチナ解放グッツ屋にいってきた。さっそくTシャツやパレスチナストールなど数点購入しました。そのうち、IRAに届くと思うので興味のある方是非購入ください!!(届きました! -IRA)
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プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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