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首都プノンペンの都市開発と急増するスラム

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首都プノンペンの都市開発と急増するスラム      志賀 直輝              

 近年、カンボジア首都プノンペンへ訪れる観光客の数は増えている。その多くの観光客は、かつてカンボジア全土に大虐殺という恐怖を振りまいたポル・ポト派関連の地を訪れる。観光客の増加と比例してプノンペンではしきりに都市開発が進められている。開発地には高級ホテルやカジノなどが建てられている。都市部の一部だけ訪れると一見華やかに見える。
 しかし、開発地はもとからなにもなかった土地ではない。その多くがスラム(都市部で極貧層が居住する過密化した地区)と呼ばれる居住地だ。プノンペンのスラムだけでも700カ所を超え、約20万人以上がスラムの居住者だと言われている。(2005年調べ)これは人口100万人のプノンペンの20%を占めてることになる。1997年のスラムの数と比べても倍以上に膨れ上がっている。
 スラムが急増する一方、都市開発が進められている現在。この都市開発に伴い政府や企業はスラムを強制撤去という強硬手段をとっている。これが今、大きな社会問題となっている。
 
 プノンペン最大のスラムを形成する一画、バサック・スラムの強制撤去

 今年の5月から6月にかけてバサック・スラムが政府と企業によって強制撤去された。この撤去もリゾート開発の一環だといわれる。バサック・スラムができたのは1993年のUNTACによる新政府成立のころ。各地方の貧困層が流れ込んできた。ちなみに貧困層の90%は地方農村。
 2001年11月に大火災が起き、ほとんどの家が消失した。大火以降は住民の流入は認められず、恒久的な建物(鉄筋、レンガ、頑丈な木造)の建設が禁止。家屋は廃材かバラックか草葺の小屋、ビニールシートなどが使用されていた。衛生環境は最悪で上下水道はほとんどなく、ゴミがさんらんしていた。そのため多くの人々が何らかの病気にかかっていた。また、失業率は50%に上り、仕事のある大人でも日雇い労働や路上での物売り、子供たちはゴミ拾いなどをして生計を立てていた。(プノンペン市内にゴミ山がある。ゴミの中から缶やプラスティックなどを分別して集める人々がたくさんいる。一日集めてUS1ドルぐらいという。)
 この状況下でありながら政府側はバサック・スラムを強制撤去した。この時、強制撤去に反対する住民と政府側で衝突が起きている。一部の住民は強制撤去のために作られた壁をぶち壊し、警備室に火を放っている。住む家を奪われた人々の、当然の感情だったといえる。

 強制撤去の次は強制移住

 反対派の抵抗は政府側の力によって軽々とねじ伏せられた。そして住む場所を失った住民たちは政府側があらかじめ用意してある土地へ移住。移住先は住民に聞いたところソムボク村という。プノンペンの都市部からバイクで一時間のとこにある。バイクのメーターではかったところ、約25キロあった。
 この村は二つある。ひとつは土地をもらえた人々の村。もうひとつは土地をもらうために待機している人々の村。前者は区画され、バラックや草葺の小屋が建ち並んでいた。しかし、井戸は一つしかなく病院もない。住民の話だと800世帯が住んでいるらしい。後者の村は土地がもらえないために、ブルーシートやゴミ袋などをつなぎ合わせてテントを張って生活している。1000世帯~1500世帯住んでいると言われる。ベットやスノコがほとんど普及されていないため、地面にゴザをはってその上で寝ている。雨の多い時期だけに濡れた床で寝ざるおえない。さらに水道も電気も病院もない。米や薬品も不足している。劣悪な環境のため多くのこどもたちが病気にかかっていた。さらに、このテント村にはバッサク・スラムの人々以外にも土地を求める人々が続々と集まってきているという。そのため、テント村は日に日に住民が増えていく、という悪循環が生まれている。
 どちらの村も都市部から離れているため仕事に通うのが厳しい。ガソリンは1リットル1ドルとかなり高い。大半の住民は仕事や生活を変えなくてはいけない。

 ポル・ポト派と現在の政府

 スラムの強制撤去にはじまり、住むところがないという理由によるスラム住民の半ば強制移住。この一連の政策を見ると、かつてクメール・ルージュがおこなった都市民の農村への強制移住を想起せざるおえない。
 カンボジアがフランスから完全独立したのが1953年、その後シアヌークは1960年に国家元首に就任。シアヌークは独立・平和維持・領土保全のための非同盟の中立主義をとる。しかし、ベトナム戦争の巻き添えをうけ1970年にアメリカ政府の画策によりロン・ノン将軍がクーデターを起こす。シアヌークは中国へ亡命。シアヌークはロン・ノン政権打倒のため「カンプチア民族統一戦線」の結成を宣言し、クメールルージュと協力を表明した。このクメール・ルージュのトップがかの有名なポル・ポトだ。1975年4月17日ロン・ノン政権を打倒したポル・ポト派が政権を握る。
 ポル・ポト派はプノンペン入城後、都市民を農村へ強制移住させている。この他にも私有財産の廃止、市場通貨の廃止、学校教育・宗教活動の廃止、国内移動の禁止、人民公社の設置と集団生活化などを行った。強制労働や虐殺によって200万人近い被害者が出た。また、多くの教師、医師、官僚、法律家、僧侶、知識人が殺害された。多くの図書も焼かれた。ポルポト政権下の3年8ヶ月間でカンボジアの文化も社会はことごとく破壊された。この下地がカンボジア再建を遅くさせている。
 ポル・ポト政権は都市民を農村へ移動させた。現在の政府側は完全な強制ではないにしろ、住む場所がないという状況へ追い込みスラム住民を郊外へ移住させている。私には、この両者がだぶってみえてしまう。ポル・ポトは金持ちも貧乏人もひと括りだったが、今の政府側は貧乏人だけと限定している。貧乏人は常に忘れられた存在だ。だからか、スラムの強制撤去や強制移住はあまりにも注目されないでいる。問題視しているのは、カンボジアを変えようとしているカンボジア人か、地道な支援活動を続けるNGOなどだけだ。

 強制撤去予定地ブディング・スラム

 元バサック・スラムのすぐ横にブディング・スラムと呼ばれるスラムがある。ポル・ポト政権崩壊後の1979年より地方から貧困層が流れてきたという。2001年の大火で4000人が政府によってプノンペン市郊外に移転。2005年の時点で約6000人が住んでいる。このスラムの一角にブディング・マンションと呼ばれる不法占拠されたマンションがある。住民の話では政府にお金を払い、現在では居住が認められているという。しかし、一連の都市開発に伴いこのマンションもブディング・スラムももうじき強制撤去させられてしまう。執行日は具体的に出ていないようだが、ブディング・マンションの横には新しいマンションが建設されている。もちろん、ブディング・マンションの人々のためではない。お金持ちが住むためのものだ。
 このブディング・スラムの中にC.L.C.A.というストリートチルドレンや孤児のための孤児院兼自主学校がある。ここには114人が寝泊りしている。平日はカンボジア語、英語、日本語(週1)などを勉強している。さらに民族舞踊・音楽、ボクシングなどの職業訓練もおこなっている。もちろん政府の支援はなく、NGOや旅行者などからの支援、セレモニーなどで民族舞踊・音楽を披露してもらったギャラで運営している。114人分の食費は一日US25ドルと米30kgが必要とされ運営は火の車のようだ。その上、今後この自主学校も移転しなくてはいけない。しかし移転先はまだ決まっていないという。食費で精一杯な彼らがどうやって移転できるというのだろうか。
 仮にNGOの支援があったとして無事に移転できたとする。しかし、ここの政府はいったい何をしたというのか?答えは簡単。何もしていない。ただスラムを壊し、郊外へ住みなさいと土地だけ用意しただけだ。土地がもらえない住民もでてきて、土地がもらえるだけでもありがたいと思えという状況になる。なにか話がおかしい。人間の生きる権利とは一体どこへいったのか??

 CPPの存在

 今回、私は多くのスラムへ足を運んだ。そして、スラムの状況を聞いた。多くの人々が強制撤去や移住に
不満をもっていた。そして、政府に対する不信は大きいものだと感じた。しかし、表立った抗議活動や反対運動などできないという。みんな口を揃えてCPP(カンボジア人民党)が怖いという。CPPはインドシナ共産党の流れをくむカンボジア人民革命党として51年創立された政党。91年10月から党名から「革命」を削除。98年7月の総選挙で第一党を獲得。
 貧困層の多くの人々がCPPは金持ちのための政党だと口にしていた。逆にどこの党がいいかと聞くと、サム・レンシー党がいいと答える人が多かった。サム・レンシー党の党首サム・レンシーは政府の汚職体質を批判して96年5月に民族統一戦線(現在第二党)から除名をうけている。サム・レンシー党は同7月の総選挙で第三党を獲得。みんなこの党は貧乏人のための党だと語っていた。
 また多くの警官はCPPだという。住民はつねに警官に監視されているといっていい。だから、政治的な運動ができないでいる。ちなみに警官の給料は月US25~。プノンペンの安いアパートでもUS25ドル~だというから、警官は賄賂がなければ生活ができない。一般公務員の給料もUS20~30ドル、こちらも警官同様といえる。政府で働くのも結局賄賂だというから腐敗の連鎖は延々と続く。そして、汚職体質な政党がトップな限り腐敗の連鎖は断ち切れず、自由な政治活動はできないだろう。

 労組活動家が銃撃

 自由貿易労組(FTU)の活動家が、4日午後にモニボン通りをバイクで走行中に、身元不明の暗殺者より銃撃を受け、足を負傷したと訴えた。FTUは声明を発表し、この事件はFTUの活動を妨害する為のものだと指摘している。FTUのメンバーが、身元不明の襲撃者に銃撃を受ける事件は、これが初めてではない。2004年1月、FTUのチア・ヴィチア会長は、白昼の市内で身元不明者によって射殺されている。また、その4ヵ月後には、幹部のロス・ソバナリット氏が、同じくプノンペン市内で銃により殺害された。FTUはここ数週間、月曜日に予定されていた給与アップを求める大規模ストライキで注目を集めていた。カンボジア縫製業協会による最低賃金引き上げ交渉の受け入れによって、同ストライキは中止となったばかりである。(2006年7月6日 カンボジアウォッチ編集部)
 この事件の真相はわからない。さらに給料の安いCPPな警官が組合のために事件を調べるわけもない。ただカンボジアの人々が反政府的な運動や反対運動を起こせない理由がここにある気がした。

 ミクロでマクロな未来

 「今、カンボジアに求められているのは、賄賂や利己のためではなく、貧困を少しでもなくすためにカンボジア人自らが立ち上がることだ」そうカンボジアの若者が語っていた。それは私の会った多くのカンボジアの若者が共通して思っていた。彼らはNGOに参加しスラムをサポートしたり、学校を作って教育に励んでいた。また、私はカンボジアのスラムのこどもたちを支援する多くの日本の若者にも会えた。彼らは、スラムに学校を建てたり、井戸を掘ったり、薬を届けたり、日本語を教えたり、文化交流をしたり、こどもたちの笑顔を増やそうとしていた。また、ただ支援するだけではなく、スラム住民自身の自立(自律)のためのサポートをしていた。例えば、フェアトレードなど経済的に自立できるようなシステムを取り入れていた。
 そもそも政府などという存在そのものがフェアではない。そこには常に力関係があり、金の利権によって動いている。私は、この腐ったシステムより、ミクロで個と個がつながってゆく国境なき関係に力強いマクロな未来を感じた。
 
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プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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