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粉塵と死の只中で、戦争のテロルを証言するある家族の物語

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粉塵と死の只中で、戦争のテロルを証言するある家族の物語

サムーニー家の住まいを舞台に突然、イスラエルとハマースの戦闘が展開、親族48名が殺される

ロリー・マッカーシー(ガザ・ゼイトゥーン)

英ガーディアン紙 2009年1月19日(月)

ヒルミー・サムーニーは昨日、妻と5ヶ月になる息子とかつてともに過ごした寝室の床にひざまづき、厚く降り積もった灰とガラスの破片のあいだを指でかき分けながら、ともに生きていた家族の形見を探していた。「指輪を見つけた。ほかにもまだ見つかるかもしれない」

妻のマハーと息子のムハンマドが殺されたのは、ガザに対する22日間におよぶイスラエルの戦争が2週目に入ったときだった。数十人の親族とともに家の近くに避難していたところにイスラエル軍による砲撃を受けたのだ。ガザ市南部のゼイトゥーン地区で1月5日、月曜の朝、一家族の48名もの人間が亡くなった。

この戦争でガザの市民を襲ったもろもろの恐怖のなかで、おそらくサムーニー家の運命はもっとも深刻なものであったかもしれない。サムーニー家は農家で、親族たちがひとつ地域の隣近所に集まって、ブロックを積み上げた簡素な家々に暮らしていた。

この狭い地域で、10もの家々が破壊され、それらは昨日、砂のなかの瓦礫の山に変わり果てていた。ヒルミー・サムーニーの2階建ての家は、まだかろうじて倒壊を免れている数少ない建物のひとつだ。とはいえ、巨大な戦車の砲弾が寝室の壁を貫いて、黒焦げになった壁には大きな穴が口を空けていた。侵攻のあいだ、家はイスラエル兵に占拠された。兵士たちは家具を破壊し、そこらじゅうに射撃姿勢をとるための土嚢を積み上げた。

兵士たちは、独特な堆積物を置き土産に残していった;弾丸の包装、ヘブライ語が書かれた缶詰のピーナッツ、「高品質ボディ・ウォーマー」の入ったビニール袋、そして何十ものオリーブ色のゴミ袋。空の袋もあるが、満杯で悪臭を放っているものもある。部隊の携帯便所だったのだ。

だが、もっとも衝撃的なのが、1階の壁に彼らが書きなぐっていった落書きである。ヘブライ語もあるが、多くは稚拙な英語だ。「アラブ人は死ね」「皆殺しだ」「和平ではなく戦争だ」・・・・・・そして、墓碑銘を思わせる走り書きもあった「アラブ人1948-2009年」。

ダビデの星もいくつかあった。その一つの傍らには「ガザ、俺たちはここにいるぞ」と書かれていた。

ヒルミーの弟、サラーフ(30歳)も同じ建物の別の部屋に住んでいた。彼もまた、ひっぱり出せるかぎりのものをひっぱり出していた。そのなかには、彼の父がかつて発効してもらったイスラエルの労働許可証もあった。「彼らは父に許可証を与え、それからイスラエルからやって来て、そして父を殺した」とサラーフは言った。この攻撃で、彼は両親のタラールとラフマ、そして2歳になる娘アッザを失った。

この戦争のあいだ、イスラエルはジャーナリストがガザに入るのを禁じていた。だが、昨日、瓦礫となった自宅の外でサラーフと彼の隣人たちが述べたことは、攻撃のあと何日かのあいだに目撃者たちが述べたことを確証している。彼らの陳述によって、国連はゼイトゥーンにおける殺害をこの戦争のもっとも深刻な出来事の一つと表現し、赤十字もこれを「衝撃的な出来事」と呼んで、同団体としては珍しく、公的に非難したのだった。

10以上もの遺体が日曜、瓦礫の中から引き上げられ、さらに昨日、もう一体が引き上げられて、サムーニー家の死者の数は、ガザ緊急医療サービスの所長、ムアーウィア・ハサネイン医師によれば、全部で48名になった。日々、さらなる遺体が回収されており、3週間にわたるイスラエルの戦争による死者の数は今や1360名に達している。イスラエル側の死者は13名だ。

戦争中、イスラエルによる空からの攻撃が始まって1週間がたち、2回目の日曜が訪れると、ガザの地上侵攻に先立って、大砲による激しい砲撃の波が襲った。その晩、サラーフ・サムーニーは家族16名とともに、1階に避難した。翌朝、1月4日日曜の朝までに、近所に住む親族たちがさらに避難して来て、その数は50名近くになっていた。

サラーフは言う、「彼らは2階に砲弾を発射し、2階が燃え始めました。私たちは救急車と消防車を呼びましたが、だれひとり、私たちのもとにたどり着くことができませんでした」間もなくイスラエル兵の一団が近づいてきた。「彼らはやってくると扉を叩き、全員、家から出て行けと言いました」彼らは舗装していない道を数メートル歩いて、ワーエル・サムーニーの大きな1階建ての家に入った。

そこに彼らはその日、とどまった。一団は男、女、子どもあわせて100名あまり。食糧もなければ、水もほとんどなかった。彼らの家々の周りの野外ではパレスチナ人の戦闘員が作戦を展開していたのかもしれないが、目撃者たち全員がゆるぎなく主張しているところによれば、ワーエル・サムーニーの家に集まった者たちは全員、民間人であり、みな同じ一族の者たちだった。

月曜の朝、サラーフをはじめ男たち4人が煮炊きするための薪を持ってくるため外に出た。「彼らは私たちに対して砲弾を直撃してきたのです」サラーフは言う。4人のうち2人が即死、あとの2人も怪我を負った。サラーフは額と背中と両脚を砲弾の破片でやられた。彼によればその何秒後かにさらに2発の砲弾が家を見舞い、そこにいた何十人もが殺された。

サラーフと70人あまりもの人々の一団は家から逃げ出し、兵士たちに向かって、女子どもがいるのだと叫んだ。彼らは幹線道路に走り出て、1キロほど走り続け、ようやく救急車が彼らにたどり着いた。だが、ほかの者たちは取り残された。

ワーエル・サムーニーの父、ファーリス(59歳)は、一団が避難していた家の隣に住んでいた。トタンで葺いただけの1階建ての家だったため、彼の家族も隣の家に避難していた。だが、彼は自宅にとどまった。撃たれるのではないかという恐怖で家を離れることができなかったのだ。しかし、火曜日に、生き残った者たちが彼に水を持って来てくれと叫んだ。彼は急いで短い距離を走り、彼らに合流した。

「遺体が床に並んでいた。怪我人もいた。みな、互いに助け合っていた」とファーリスは言う。ファーリスは死者のなかに妻のリズカ(50)、義理の娘アナーン、そして孫のホダー(16)の姿を認める。

翌水曜の午後ようやく、生き延びた者たちは救出される。赤十字が到着し彼らを病院に搬送したのだ。イスラエル軍は、ゼイトゥーンで何が起きたか調査中だという。部隊が住民に、一軒の家に集まれと命令したことはないと軍は繰り返し否定し、民間人を意図的に攻撃目標にしたこともないと言う。

一族のほかの者たちも別の形で、しかし、同じようにぞっとする運命に見舞われた。ファラジュ・サムーニー(22)はヒルミーとサラーフの家の隣に家族とともに住んでいた。この家族も土曜の晩、激しい砲撃から避難するため、18名ほどの一団で一つ部屋に身を寄せて、その夜を過ごした。日曜の朝、イスラエル兵がやって来た。「家の持ち主は出てこいと彼らは叫びました。父が扉を開けて出て行くと、彼らはその場で父を撃ったのです」ファラジュは言った。

彼の父アティヤ(45歳)の体は、前のめりに地面に倒れた。兵士たちは部屋のなかにむけてさらに発砲し、4歳になるファラジュの腹違いの弟アフマドとその母が殺された。アフマドが座っていた小さな部屋の壁には、昨日も血の跡があった。

部隊は彼らに床に横たわるよう命令した。しかし、隣の部屋が燃え始め、苦い煙が立ち込めてきたので、彼らは、外に出してくれるよう叫び始めた。「私たちは叫び続けました、赤ん坊も子どもたちも」ファラジュは言う。ようやく兵士たちが彼らを外に出し、彼らは通りを走って、ワーエル・サムーニーの家に集まっている人々の傍らを通り過ぎ、幹線道路に達し、事なきを得た。

ファラジュが戻ってきたときには、自宅は完全に破壊され、捻じ曲がった鉄筋とコンクリートの山になっていた。屋外の小さなグリルの上に、日曜の朝食に彼らが調理していた8つのナスが黒こげになって残っていた。彼が父の遺体を埋葬することが出来たのはようやく日曜になってからだった。そのとき、最後の、あってはならないことが起こった。ガザの墓地は今や満杯で、イスラエルによる長期にわたる封鎖でコンクリートも欠乏しているため、彼は一族の古い墓をあばいて、ほかの遺体とともに父の遺体をそのなかに収めたのだった。

「どうして平和など望める?彼らは民間人、子どもさえ殺しているというのに」ファラジュは言った。「今は停戦を支持する。わたしたちには何の力もない。停戦がなければ死者さえ葬れない」

ガザの人間たちのなかには、自分たちがこの紛争に引きずり込まれたのは、この小さな領土を統治するイスラーム主義運動のせいだといって、私的にハマースに対する怒りをうちあける者もいる。だが、それよりはるかに多い、大多数の者たちがイスラエルに対する苦い怒りと、破壊と殺人を止めることができなかったアラブ世界およびその他国際社会の無気力に対する憤懣について語っている。

「みなに咎がある」イブラーヒーム・サムーニー(45)は言う。彼は、妻と息子4人をゼイトゥーンの殺戮で失った。「みなに私たちのことを見てもらわねば、そして、ここで何が起きたのかも。私たちは抵抗戦士ではない。ごく普通の人間だのに・・・」

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Comments

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プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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