World advance 

シコシコアナキスト日誌

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ジレンマ・マジ錬磨

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最近、「死刑と人権」っていう死刑廃止の冊子に原稿を書きまして。読者層は、世代的に、俺の親が多い
かな思うので、その方々に宛てて書いてみました。だから、上ネタな下ネタ抜きで、自主規制しまくりな固い感じです。すんません。

以下転送


2011年3月11日に、東日本大震災が起き、さらに福島でチェルノブイリを上回る原発事故が起きた。その結果、東日本、特に福島の人は、放射能汚染によって、莫大な被害を受け続けている。中には、生まれ育った土地を離れ、避難民になる人たちもいる。さらに、放射能汚染は、現在進行形で大地や海を汚し、動物や人間の身体を蝕み続けている。また、日本政府は狂気の沙汰か、放射能汚染した瓦礫を日本全国へばら撒こうとしている。一体、数十年後、数百年後、福島や世界の子どもたちが、どうなるのかわかっているだろうか?これらの大犯罪の責任は、他でもなく、日本政府や電力会社にある。しかし、当の本人たちは、何食わぬ顔で責任もとらずに、未だに原発を推進しようとしている。逆に、原発に反対する一般市民が、デモや直接行動などで警察に逮捕され、長期間勾留、起訴までされている。

3月11日以降、全国各地、世界各地で、原発に反対するデモが行われている。このデモは、従来の市民運動、左翼、労働組合、組織的な運動体だけではなく、今までデモに来たことない人たち、特に子連れや年齢的に若い世代が、こぞって路上へ繰り出している。そして、自分たちの言葉で「原発反対」の声を上げ、サウンドデモ(トラックなどに音響機材やDJを載せ爆音を流しながら踊るデモ、現代版ええじゃないか!)などをやっている。
思い返すと、10年前にも同じ状況があった。2001年9月11日、米国のWTCが「ハイジャック?」された飛行機に突っ込まれ、ブチ壊された。そして、米国は「報復」としてアフガニスタンやイラクへ一方的な「戦争」を起こし、多くの人々を殺した。あの時も、現在の原発反対デモと同じように、従来の運動体だけではなく、雑多な人たちが「戦争反対」を訴えて路上へ集まった。そして、この時の反戦運動の流れは、形を変えながらも現在とつながっている感じがする。

私が住む大阪でも3月11日以降、原発反対のデモがたくさんある。以前に比べて、デモ参加者は圧倒的に増えた。この間、私も個人的に、大阪のサウンドデモ企画に参加してきた。大阪のサウンドデモを企画する人たちの集まり(以下、サウンドデモ界隈)の特徴としては、実行委員会があったり、リーダーがいるわけではない。政党のpartyではなく、宴会のpartyな感じで話し合いをしている。そして、いろいろ企画を立て、役割分担して、デモをやる。やりたいときに、やりたい人がやる。また、サウンドデモ界隈の多くは、3月11日以前、デモに参加したことがない人たちだ。

私は、そんな友人たちと、3月11日以降、いろいろなサウンドデモを大阪でやってきた。5月1日「FUCK NUKES+MAYDAYサウンドデモ」、5月7日「脱原発!サウンドデモ」、6月5日「原発卒業式」、6月11日「世界同時多発反原発デモ」、6月26日「脱原発ピクニック」、7月17日「A.C.A.B.DEMO(反弾圧、反警察、反原発サウンドデモ)」、7月31日「ナツダツゲンパツ」、9月11日「原発ハヨトメロ!デモ」、9月18日「ええかげんさらせ!ケーサツ!仲間を返せデモ!」

しかし、なかなか、サウンドデモを企画するのは難しい。前述したように、誰かが管理しているわけでもなく、みんなで分担して、限られた時間の中でやっている。だから、不備も多い。特に7月31日に行われた「ナツダツゲンパツ」サウンドデモでは、デモ終盤、反原発デモを妨害してくるレイシスト集団「在日特権を許さない会=在特会」に対抗して、DJ(サウンドデモで音楽を流す人)が皮肉を込めて「君が代」をかけた。しかし、皮肉としての「君が代」は、デモ参加者の多くに皮肉とは受け止められず、多くの非難・批判が巻き起こった。特に、左翼界隈の人、沖縄や在日の人からの批判が強かった。侵略戦争や天皇制のシンボルであり、現在でも人々を強制しようとする「君が代」が受け入れられるはずがない。しかし、サウンドデモ界隈も、まさか「君が代」がかかるとは思っておらず、予期せぬ事態にしっかりした対応ができなかった。また、私たちの仲間の中に「君が代」が好きだという人間はまったくいなく、「主催者」という意識があまりない。私個人としては、日の丸を食い千切ったり、燃やしてゲロを吐いたり、靖国神社なんて糞だと思っている。皮肉であれ「君が代」がかかったことはすごく残念だ。
しかし、サウンドデモで「君が代」が流れたことで、世代や国籍、様々な立場によって「君が代」への思い入れの違い、原発に含まれる様々な問題が表面化されたと思う。

サウンドデモ界隈の多くは、20代から30代だ。世代的に大多数の人間は、今まで「君が代」について考えてきたわけではないと思う。私は、今、31歳だ。1999年、私が高校を卒業する年に「日の丸・君が代」法が出来た。広島県の校長が「日の丸・君が代」を反対する教員と、推進したい教育委員会の板挟みになって自殺した。私は、当時、校長室へ行き、卒業式で「日の丸・君が代」を流すなと抗議しに行った思い出がある。しかし、当時の大半の学生はそんなことどうでもよかったと思う。私は、親が学生運動をやっていたせいか、子どものころから、反戦教育を受けていた。だから、「君が代」を聞くと吐き気がする。だけど、同世代的な現実は「天皇」も「君が代」もどうでもいい存在で、形骸化した「ただのおっさん」と「陰気な歌」にすぎない感じがする。(でも、ここで注意しないといけないのは、「天皇」や「君が代」がどんなに形骸化しても、法的に強制しようとする政府がいる。特に石原慎太郎や橋下府知事みたいな「日の丸・君が代」に反対する人間を処罰しようとする政治家に気を付けないといけない。)

 サウンドデモ界隈へ「君が代をかけたことを謝罪しろ」とか、「声明文(反省文)をこう書け」的な言葉が寄せられるにつれて、サウンドデモ界隈の友人たちの中には、デモに嫌気が指す人もいる。「元々、私は、君が代が好きなわけでもないのに、なんでこんな言われ方されないといけないだ」と、批判してくる人たちと一緒にやるのが嫌になる人もいる。

 私は、国家が侵略のツールとして使い、権力システムを維持しようする旗も歌も消えてなくなればいいと思う。そもそも国家や権力そのものが諸悪の根源だと思う。だけど、今まで「日の丸・君が代」や権力について考えてこなかった人たちに、どう対話してくのか、どう伝えるのかというのは、とても大事なことだと思う。私は、相手が理解できる言葉で、論破するのではなく、お互いに語り合う必要があると思う。左翼や従来の運動体の多くは、自分たちだけがわかる共通言語や、難解な言葉で語る癖があると思う。それに、世代の問題もあると思う。日本の運動体は、団塊の世代と、その子どもの世代のつながりやコミュニケーションが弱いと思う。自分たちが潰せなかった「日の丸・君が代」を、デモで「君が代」をかけたという一点だけとって、サウンドデモを批判するのは、簡単だ。でも、今一番、必要なことは、誰かが謝ってすませることではなく、問題の根底はなんなのか考え、対話を持つことだと思う。そして、次の世代へつなげることだと思う。

 デモをやりながら、いろいろ感じる。最初は「オマワリさん警備してくれてありがとー」と言っていた友人が、反原発デモへの警察からの不当逮捕や過剰警備を通して「権力ってなにか」を体感し、仕舞には「オマワリ帰れ!ふざけんな!」って叫ぶようになっている。こういった体感は説教よりも何十倍も大きいと思う。
 また、原発の問題は、ただ放射能汚染だけが問題ではなく、日雇い労働や被ばく労働者の問題、地方や第三世界・弱者への押しつけ、政治家や金持ちの利権、電力会社の独占、ばら撒きの交付金、メディア買収、あらゆる矛盾と差別の構造が孕んでいる。目先の金ばかり追い求める資本主義をぶち壊さない限り、根本的な解決はできないと思う。

今後、これからも反・脱原発デモには、雑多で様々な立場な人が来ると思う。そこには、まったく今まで、デモに来たこともない人も多いと思う。また、「国土を守れ!」「日本を守れ!」という人も来ると思う。自分とは相入れない考えの人と出会ったとき、どう対話するのか?それとも、別々でやるのか?または、排除するのか?

サウンドデモで流れた「君が代」を通して、様々な問題が噴出した。これは、避けては通れない道だと思うし、どうつきあっていくかが今後の課題だと思う。「みんなこうあるべき」なんて、あるわけない。だから各人が各人の思うようにやり、無理にまとまるのでもなく、分裂でもなく、対話していくしかないと思う。それが、原発や差別をなくす道だと思う。

アメリカ先住民たちは、原発や原爆の原料であるウラン鉱山を畏怖し近づかなかった。そして、7世代先の未来の子どもたちのことを考え、行動していたという。私たちは、今まで、散々、糞ったれな政府や、金儲け主義な世の中に分断させられてきた。だからこそ、各人が自由な精神を!世代も国籍もないぶっとい連帯を!果てしない想像力を取り戻すしかないと思う!!そして、7世代先の未来の子どもたちを考えて、非暴力直接行動していくしかない!!

原発絶対反対!!all nukes are bastard!! nunca mas capitalismo!!



追記 

10月16日に、上記で書いた「君が代問題」の対話する場を一部有志で作った。集まったのは、この問題に関心ある人、批判的意見を持つ人、主催側などだ。この上の文章を、もしも、対話以降に書いていたらまた違ったかもしれない。実際、色んな人と直接対話してみて、なんつうか、ネット上だけの批判と違って、肌と肌、合わせて話すのは大事だなー思った。反対に、ネットだけで、物事決めてしまったり、腹を立てていたことに、ものすごく反省した。喧嘩もそうだけど、電話やメールでするとこじれるけど、直接やりあったら、けっこう気持ちよく終わったりするもんすよね。もちろん、君が代問題が解決したわけでもないし、課題はたくさんあるんだけど、自分とは違う考えの人と直接、じっくり、ゆっくり対話するのは、本当に必要ですね。これは、思想うんぬん抜きにしてそう思いました。

とにかく、今は、全国に拡散されようとする放射能汚染の瓦礫に反対せにゃあかんっすね。


以下、こんな企画ありんす。



関西でも
原発いらん・おかんとおとんが
立ち上がり、
そして座り込む

時:10/28(金)AM 10:00~PM3:00 
場所:近畿経済産業局 大阪合同庁舎1号館前


原発いらない福島の女たち100人が霞ヶ関経産省前で座り込む。
詳細→原発いらない福島の女たち




関西でもフクシマに繋がるぞ。
人事じゃないぞ。
関西にも原発あるぞ。
同じ人間がフクシマにいてるぞ。
生きることとは繋がることやぞ。
フクシマの女たちに繋がるために
関西のおかんとおとんと他のすべての大人たち、
今こそ立ち上がり、
そして座り込むぞ。

☆STOP すべての原発
☆STOP 放射能拡散政策
☆こどもたちを放射能から守る政策を

主催 おかんとおとんの原発いらん宣言
iran.osakaアットgmail.com
(アットを@に変えてください)

●当日参加、いける時間だけ参加、などでも大歓迎。
お弁当持って、ピクニック気分で参加しよう~


”私達は棄てられたのだ”
福島のおかんに
こんな言葉を吐かせた国に
関西のおかんも怒ってんねん!

ほんまおかしなことばっかりや
ちゃんと子どもら守ってや
こんだけ被ばくさせといて
なんでまだ他の原発動かしてんねん。
汚染がれきを全国に運ぶて
何考えてんねん、あほちゃうか。

うちらは絶対見棄てへんて
関西のおかんから伝えたいんや
福島のおかん達、うちらも大阪で座り込むで


おかんとおとんの原発いらん宣言2011


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occupyosaka!!!!!

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以下、俺も参加してきました!暴れすぎて身体が痛い!!しかし、ガンガンやってきまっしょい!


以下報告 http://occupyosaka.tumblr.com/ より

osaka-.jpg


Occupy Osaka、無事に終了しました。参加いただいた方々、応援いただいた方々、ありがとうございました。10月15日、昼の13時過ぎから雨が激しくなる20時くらいまで難波高島屋前の広場の木の下を占拠して鍋をつつきました。顔見知りだけでなく、Twitterを見て来てくれた人、たまたま通りかかった人もどんどん加わって、19時頃には鍋を囲む輪は40名~50名程に広がっていたかと思います。

13時に第1陣が到着したとき、こちらが3人なのに対して、6名以上の公安の方々に待機していただくVIP待遇。急いで始める気は全くなかったので、30分程まったりとした時間を過ごした後、鍋を広げようとしたところ、公安の皆様がこちらにやってきました。「なんだ、これは。鍋か。火は使うなよ」とおっしゃるので(法律のどこに火を使ったらダメと書いてあるのか教えていただけませんでしたが)、ああ、じゃあ少なくとも火を使わなかったらええんやな、ということで、急いで発電機とホットプレートを取りに走りました。もちろん発電機の電力なんて知れているので、鍋ができるまでかなりの時間がかかったけれど、その頃には人も適度に増えていて、最初の鍋が完成した瞬間を共有するのは素晴らしい体験でした。それでも、夕方頃には制服の方々がやってきて、座り込んで鍋をする行為は道路交通法違反だと言ってきたけど、道路交通法上は、「交通の妨害となる(道交法76条)」ことが条件についているから、交通の妨害にならなければ問題ないのは明らかなんですよね。参加していただいた方はよくご存知だと思うけど、全く交通の妨害になってないし。それでも撤去だ撤去だと五月蝿く迫ってきたけど、結局、最後まで広場で鍋をしたらいけない根拠は教えていただけませんでした。法は守っていこうや、な、お互い。それでも、警察の中に話ができる方もいて、鍋を勧めてみたけど断られました。でも、いつか一緒に鍋を囲める世の中になるといいですね。

さて、そもそも、この活動はウォール街占拠に呼応した全世界同時アクションの一つとして行われたものです。鍋というスタイルには賛否両論あったわけだけれども、見知らぬ人同士が鍋を囲むという行為は、このアクションの趣旨にぴったりだったと思っています。格差問題は99%の人が共有していて、多くの人は個人個人のレベルで社会に対して漠然とした不満・不安を抱えているはず。でも、この国の普段の路上では目を合わせることもなく通りすぎるだけ。語り合う機会が圧倒的に不足しています。広場はそもそも人と人とがコミュニケーションを取る場所。いつもなら素通りするだけの広場に鍋があることで、知らない者同士が足を止めて、社会について(もちろん、この行動に対する批判も含め)語り合えたこと、これが何よりこの行動の意義だと思います。鍋だけで世界が変わるとは思っていなけれど、鍋が世界を変えるきっかけになる可能性はあるはず。ここで出会えたことを大切にして、また大きな「何か」に繋げて行きましょう。
結局この日は世界中で1500以上の都市で声が上がったそうです。Skypeでお話ししたCaliforniaのMercedを始め、この日に声をあげた皆様、お疲れさまでした!そして、現在進行形で活動を行なっている方々も心から応援しています。お体に気をつけて。
さあ、また近いうちに路上でお会いしましょう。We’re the 99%!!!

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END : CIV 上映会+交流会 in 大阪

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上映と、フランクリン監督との大交流会がありますー!お暇なかた、ぜひいってみましょー!


111008_endciv.jpg


【映画上映】10月8日(土曜日)17:30 open /18:00~上映
【場所】remo [記録と表現とメディアのための組織]

〒559-0011
大阪市住之江区北加賀屋5-4-12
tel/fax 06-6686-5757

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END : CIV
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監督:フランクリン・ロペス
2011年/75分

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私たちは産業資本主義、
さらには「文明=CIV(Civilization)」に
反対しなくていいのだろうか?
自然を破壊しているのは誰だろうか?
「エコ・ショッピング」は地球を救えるのか?
先住民たちはいかにして
企業や国家の暴力に抵抗してきたか?
非/暴力とは何か?
反原発の声が拡大していくこの状況のなかで、
ぜひ多くの人と共有しておきたい問題が
『END:CIV』には凝縮している。
あなたの「エコ」のイメージが変わります。

http://www.youtube.com/watch?v=--FsPMKkt9c&feature=player_embedded

「日本における『END:CIV』」高祖岩三郎

エイドリアン・ハーレー/成田圭祐という国際的アフィニティーによって準備されているこの映画の上映運動は、ことさらこの場所日本において、この時3/11以降の状況下において、貴重な意義をもつと思われる。それはこの決定的な事態を予測したというよりも、資本主義文明の世界制覇の構造的提示として、それが起こってしまった不可避性を立証しているからである。ということは、この映画の視点は、3/11を改めて世界的連関において捉える一般的可能性あるいは端緒を示しているということであろう。

デリック・ジェンセン『エンド・ゲイム』(I)(II)に触発されたこの映画は、フランクリン・ロペスが監督/作者ではあるが、ジェンセンを初めとする幾多の実践者たちの声の導入によって、3/11以降の今日、ますますそのアクチュアリティーを感じざるをえない一つの世界変革実践の系譜を敷衍している。アナキズムの中でも、最もラディカルで真摯な実践形態の一つであるエコ・アナキズムあるはグリーン・アナキズムである。それは森林伐採阻止から、先住民の生活圏の防衛、より広範な地球解放(アース・リベレーション)、そして海洋を舞台とするシー・シェパードなどを経てきた、あくまでも直接行動によって、企業と国家権力の暴力的世界変容と対決する諸々の実践の集積である。

この映画の標的は、歴史的には、植民地主義に始まり、世界資本主義の拡張を司ってきた西洋産業文明そのものに向けられている。さらにそれは、構造的連関性として、 テクノロジー/文化/都市的日常生活が、如何に石油とエネルギー生産中心主義によって支えられた暴力的グローバリゼーションに捉え込まれているか示して憚らない。われわれが、この同じ日常生活を推進し続けること自体、世界の破局を準備するものでしかないという判断において、「抵抗か死か」という全面的闘争を呼びかけている。

ここでは最終的な拠点は、地球とその生態系である。かかる文脈で、ことさら重要なのは(独自の共同体と文化形態の意識的固持によって、文明のなし崩しの拡大/発展に抗してきた)先住民の諸闘争との接点であろう。それらは過去の遺物を守るための闘いというよりも、現今問題を先端的に担う闘争と看做されるべきである。その意味で、これらの運動に、いわゆる原始主義(プリミティビズム)が谺しているとすれば、それは単純な自然回帰の主張というよりは、私有化によるのでない大地/地球との関係をどのようにとり結び直せるか、つまり人間のみならず、大地/地球をどのように主体と看做し直せるか、という問いとして解釈されるべきだろう。われわれは今や、かかる転換がーー主義主張としてでなくーーどう実現されるか?という戦術的問いとして問われるべき時節に突入した。

3/11以降の日本では、様々な度合いと質による被曝の影響下で、新しい社会管理/統制が実施されている。これは高度経済成長期以降、次第に強化されてきた「風景の変容」の延長であり、一つの頂点である。ここでは開発こそが、日常化した暴力であり、権力の新しい形態を形成している。原子力を土台にしたこの体制は、おそらく最も危機的であり、同時に最も完成された軍産体制を実現している。ジェンセンやロペスが、「文明」と呼ぶこの悪魔的趨勢は、ここでは「装置(アパラタス)」と呼び換えることも可能だろう。そしてそれを解体する可能性は、すでに、その他のどの地においてよりも、放射性物質の拡散によってこれまでの生活形態が崩壊し、その根底的な変革を迫られている日本列島において、様々な形態において、試されているのではないか。その意味で、この映画を貫く、固有の終末感と怒りに満ちた時代精神(ザイト・ガイスト)は、黙示録的な日常生活と対決している列島住民の間で、 最大限に反響していくだろう。
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プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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