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シコシコアナキスト日誌

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サパティスタ自治区で遊ぼう!

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私は、相方のノエちゃんと三月中旬からサパティスタ民族解放軍(以下、サパティスタ)の村でオブザーバーするためにメキシコのチアパス州に来ている。

 1994年1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)がメキシコ、カナダ、米国の3国間で開始された日に、メキシコの最貧困層エリア・チアパス州で、先住民の農民たち・サパティスタが武装蜂起した。この協定によって3国間の間で貿易関税がなくなり、貿易が自由化された。結果、メキシコ国内には米国から大量に安い農作物(特にメキシコ人の主食、とうもろこし)が入り込んでくるようになった。米国の大量生産に太刀打ちできないメキシコの貧農や先住民たちは大打撃を受けた。そして多くの先住民たちは失業し農地を追われるか、生活が急激に苦しくなった。また農地を追われた先住民たちは、都市部のスラムに移り住むか、米国へ出稼ぎのため密入国し続けている。

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▲EZLN

 さらに、米国やカナダの企業は安い労働力と新たな工場建設を求めてメキシコに移ってきている。これらの工場はメキシコのある地区の公害を一年で2倍に膨れ上がらせた。さらに米国、カナダ、メキシコの白人・金持ちたちの一部は先住民の土地に眠る石油やウランを掘るために、ギャングを雇って先住民の強制排除計画を立てていた。

 メキシコと呼ばれる地区は、現在の先住民といわれるマヤの人々が長年に渡り住み続けている。そこへ16紀初頭、アメリカ大陸を侵略していたスペインの白人たちによって植民地支配された。植民地後、マヤの人々は白人政府によって自分たちの文化、宗教、言語、生活を書き換えられ、奴隷として酷使されつづけた。また、「独立」後から現在にいたるまで、米国や一部の白人金持ちたちが先住民たちの大半の土地や仕事を握り、半端ないピンハネ(超搾取)を続けている。そんな中、94年の北米自由貿易協定はピンハネを法的に合法自由化する、先住民への「死刑宣告」となった。この「死刑宣告」が先住民たちの叫び「YA BASTA!もうたくさんだ!」という宣言につながった。そして先住民や貧農たちは武器をとった。

 しかし、武装蜂起したサパティスタは従来の左翼ゲリラとはかなり異なる。従来の左翼ゲリラが政府から権力を取り返すことを目的にしてきたことに対し、サパティスタは権力奪取ではなく、先住民や貧乏人たちのふつうの生活・尊厳を取り返すための運動体・ネットワークだ。さらに、彼・女らは、政治的なわかりにくい言葉ではなく、自分たちの生活感ある言葉で世界に語り続けている。
 
 彼・女たちはローカルな問題にはじまり、世界中の金持ちが世界各地の貧乏人を異常なほどにピンハネするシステム=グローバリゼーション=新自由主義を彼・女たちの言葉で激しく批判している。また、サパティスタの女たちは、メキシコや先住民社会に蔓延する男性優位社会、世界各地の男根社会=セクシズム(男らしさ、女らしさとかいう考え、性差別主義)=マッチョ(日本でいうなら武士道、大和魂、九州男児とかいって男根を振り回す男たち。また、女はフェラチオするのが当然と思い、自分はクンニしない男。マッチョのひとりである安倍元首相のいった「美しい国(クニ)」という政策より、今、本当に日本に必要なのはセクシズムを粉砕する「美しいクンニ」という性策!)を批判している。そのため世界中の闘う女たちから連帯とリスペクトを得ている。また、サパティスタの反乱副司令官マルコスはゲイやクイアたちにも連帯を示している。
 そういったローカルかつグローバルな問題を彼・女たちは自分たちのメディア、自由ラジオ、インターネット=横のネットワークを通して世界中に発信している。この発信を受けた世界中の人々はサパティスタへ連帯と支援のレスポンスを返し続けている。

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▲クルストン村の入り口とサパティスタ・バスケチーム

 現在のサパティスタは、先住民への社会的な差別の廃絶、尊厳の回復を訴え、農地改革修正、新自由主義を反対し、政府と交渉と中断を繰り返している。そして今なお、チアパス州の各地にサパティスタの自治区が点在し、政府の介入から離れ、地道な自治活動が行われつづけている。

 私は、相方のノエちゃんと、サンクリストバルにあるサパティスタ支援人権団体「フライバ」に参加した。この団体には世界中の活動家が参加している。特に、ドイツ、スペイン、バスク、アルゼンチンの若者の参加が多い。そして、私たちはドイツ人活動家のアンドレスと、サパティスタ自治区のひとつ、クルストンの平和キャンプへオブザーバー(インターナショナルの活動家が常時、サパティスタへの政府軍・パラミリターレス=政府側の私兵集団からの嫌がらせ・暴力を監視すること)として15日間派遣されることになった。

 クルストンはサンクリストバルから車で1時間半、さらに馬で1時間のところにある。この村には、70世帯が住んでいる。クルストンがサパティスタに参加し始めたのは、今から2年前。しかし、すべての村人がサパティスタではない。70世帯のうち、半数以上が政府からの支援を拒否しサパティスタだ(政府からの支援といってもほとんどないに等しいと語っていた)。また、参加していない家族は、政府からの支援を受けている。政府は、自治区内の分裂を図るため、サパティスタを支援しない家庭にわざと多めに金を渡しているという。近隣の非サパティスタの他村は気のせいか、設備がクルストンよりよく見えた。

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▲クルストンのとうもろこし畑

 サパティスタに参加する村民たちは、定期的に話し合いを行っている。そして、土地を分配し、農地を耕している。男性たちは、村入口の監視小屋で常時、政府軍・パラミリターレスの監視を交代でしている(1997年12月22日、サパティスタ自治区のひとつ、アクテアル村内で極右私兵集団が男性9名、女性21名、子ども14名、乳児1名の45名を殺害し、40名へ負傷を負わせた)。女性たちは、共同組合をつくってパンなどの共同生産・販売をしている。

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▲パンを作る女性たち

 また、すべての家族が細々と農業を営んでいる。主にとうもろこし、それから牛、乳牛、鶏、トマト、玉ねぎ、バナナ、コーヒーなどを作っている。サパティスタの村で作られたコーヒーは欧米をはじめ、世界各地でフェアトレード・コーヒーとしてサパティスタ支援を目的に販売されている(IRAでも買える)。しかし、村の人たちはお金がまったくないため農薬すら買えない。農業機械もない。だから、とうもろこしや農作物を大量生産することはできない。メキシコ国内には関税のない米国の大量生産されたとうもろこしが売られている。当然、村は勝てない。だから、けっこうな数の男たちが米国に出稼ぎにいっている。

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▲サパティスタ・コーヒー。日本で買うならIRAへ http://a.sanpal.co.jp/irregular/

 村民の中で、農業を離れ一時的に米国へ出稼ぎにいっていた男を持つ家庭は、ブロックとトタン屋根の家に住んでいた。そこの子どもたちはボロだけど、少しだけキレイな服、靴やサンダルを履いていた。逆に出稼ぎにいっていない家庭は、今にも壊れそうな藁ぶき小屋に住んでいた。そこの子どもたちの服はボロボロで汚れ、裸足だった。村で仲良くなった15歳の青年は、私たちが村を出る日、米国へ出稼ぎのため密入国しにむかった。米国側には、米兵や極右のレイシスト私兵組織が銃を持ちメキシコから密入国する人々を待ち構えている。私は、彼が殺されずに密入国できることを節に願っている。

 村の生活は最低に貧しい。それでも、この村の人々は「サパティスタの自治に参加しはじめてからの方が、政府の時より生活はマシになった!」と言う。例えば、この村では感染病などを防ぐために、水洗トイレがサパティスタによって普及された。男女含め子どもたちは、全員学校にいかなくてはいけない。金がないからといって、親が子どもたちを学校へ行かせないで働かすことができなくなった。特に、先住民の村は、女性に対しての差別が激しい。現在でも、女性は勉強をしなくてもいいというのが一般的だという。さらに、女性は自分で結婚相手を選ぶことはできず、焼酎一本や物と引き換えに売られたり、結婚させられている。しかし、サパティスタに参加した村は、女性も学校へいかなくてはいけない。さらに、親が子を売ったり、自由恋愛を妨害することができなくなった。それを破った両親は罰せられる。村は先住民女性たち自身が作った革命女性法を守らなくてはいけない。

▼EZLN革命女性法

1 すべての女性は、その人種、信仰、政治信条に関わらず、自らの意志と能力が決める範囲において革命闘争に参加する権利がある。
2 すべての女性は、仕事をし公正な給料を受ける権利がある。
3 すべての女性は、自らが産んで育てることのできる子どもの数を決める権利がある。
4 すべての女性は、村の問題に関わり、自由かつ民主的に選出されれば村の任務につく権利がある。
5 すべての女性とその子供たちは、健康と栄養について基本的な配慮を受ける権利がある
6 すべての女性は、教育を受ける権利がある
7 すべての女性は、自らのパートナーを選び、結婚を強制されない権利がある。
8 いかなる女性も、家族からであれ他人からであれ暴力や肉体的虐待を受けることがあってはならない。
9 すべての女性は、組織の指導部を担い、革命軍において軍の階級を持つことが可能である。
10すべての女性は、革命法および法規が定めるすべての権利と義務を持つ。

 この革命女性法のせいか、特に女性と話をしていると、みんな熱くなって「サパティスタがいい!」といっていた。ひとりの子は、ずっと好きだった男の子と自由に結婚できるようになったと、目をキラキラさせていた。

 とはいっても依然と、女性と男性の差はあるように感じた。女性は家事・育児に追われてるせいか、あまり外では見なかった。男性たちだけが、ずっとバスケットボールやサッカーなどをして遊んでいた。毎年、国際女性DAYでは、男性たちが家事・育児をし、女性たちがバスケやサッカーをしたり、女性の尊厳回復を訴える集会を行っている。

 私たちは、日中は監視小屋に待機していた。まったく平穏だったため、特にやることはなかった。だから、毎日こどもや若者、おっさんたちと空手、柔道、相撲をやった。みんなすごい勢いでやっていた。政府軍から身を守らないといけないという状況がそうさせてるのかもしれない。
 それから、子どもたちとステンシルをつくって、黒スプレーで壁に落書きした。人の家にやったら怒られて、次の日に消させられた。それでも、子どもたちはステンシルや落書きを続けていた。絵もいっぱい書いた。絵の具でみんなぐちゃぐちゃになった。そして、みんなで汚れた服や床を掃除した。

▼ステンシルで遊ぶこどもたち
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▲みんなで絵を描いて展示。エミリアーノ・サパタとこどもの絵

 子どもたちといろいろな遊びをした。一番人気だった遊びは、警察が泥棒を捕まえるゲーム「どろけい」だった。これを警察がサパティスタを捕まえるという「サパティスタ・ゲーム」に変えた。子どもたちの大半が、サパティスタになりたいと言った。それではゲームにならないから、ふたつに無理矢理わかれた。最初は、サパティスタが警察から銃を奪って、警察を全滅させたら勝ちという風にした。けど、警察は撃たれても死んだふりをしないから、いっこうに終わらなかった。その後は、ルールが自然と変わり、サパティスタが逃げ続けることができたら「勝ち」、というゲリラの鉄則が暗黙の了解となった。だからか、子どもたちは頭をつかって、戦略的に逃げたり、逆に警察を捕まえたりしていた。しまいに、複数のサパティスタが警察を囲んで、空手や柔道をつかって襲撃していた。これには腹を抱えて笑った。それから、警察の目を盗んで脱走する子もいた。警察になりきる子は、力でサパティスタを牢屋に押し込めていた。泣き出す子もたくさん出た。それでも、みんなこのゲームに興奮し、日が暮れてもやり続けた。本当におもしろかった。

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▲ステンシルで遊ぶこども

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▲EZLNとFREE PALESTINE

 私たちは、集会場のイスで寝た。おかげで持病の腰痛がひどくなった。夜は、村全体に電気がとめられているため、ロウソクで過ごした。村の人たちは電気代が高くて払えない。それに政府への抗議を込めて不払い運動をしている。だから、電気がずっとなかった。子どもたちに「電気、欲しいか?」と聞くと「いらない、みんなで遊ぶから平気だ!」と元気に答えていた。電気はないが生命線である水は山から引いてるため使えた。ガスは当然買えないから、みんな薪で火をおこしていた。
 しかし、今年の3月、サンクリスバルの市中心部の先住民地区では政府によって水道が2週間以上止められていた。サパティスタや先住民への政府からの抑圧は、陰湿にもジワジワと日々続いている。

 サパティスタ自治区、クルストンはとても素晴らしいところだった。しかし、問題点も多々あった。空手をやりたいという子どもたちや若者に全員に教えていたら、一部のメンバーに呼び出され、サパティスタでない家族の若者には教えないでくれと言われた。ほとんど女の子たちが練習に参加できなかった。また、サパティスタとは仲の悪いらしい、新興宗教団体、福音主義・Evangelicaが村内でも勢力をあげているとのことだった。

 それでも、サパティスタのメンバーは、熱く語ってくれた。「サパティスタは、我々、先住民の権利、尊厳、健康、医療、教育、栄養、土地、これらを守るために重要だ。これからも我々は闘いつづける」と。そして、私たちはクルスタンの仲間たちと、また会うことを約束し村を離れた。

 私は、ここクルストンで多くのことを学ばせてもらった。金がなくても、なんでも自分たちでできること。既成の政党や、政府に頼る必要はないこと。政府のいう法律は、結局、政府や金持ちのためでしかないこと。難しい言葉や、ややこしい考え方がわからなくてもいいこと、もっと大事なことは、自分の言葉で自分たちの問題を語り、自分の手と足で行動すればいいこと。そして、楽しむこと。私もサパティスタだし、サパティスタはチアパスの山の中から世界中どこにでもいてつながってること。

 何度でもいう。今も昔も、これからも、世界中の金持ちが私欲のために続ける競争や戦争、貧乏人の生活を犠牲にするシステム=資本主義は「YA BASTA!もうたくさんだ!」。いつだって、どこででも、いろんなやり方で抵抗できる。チアパスの山の中にもこんなにも仲間がうじゃうじゃいる!!文字通り、WE ARE EVERYWHERE!

¡Zapata Vive! ¡La Lucha Sigue!
サパタは生きているのだ!闘争は続くのだ!

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▲学校の壁

▼追記1 CASA★KASAリニューアル! 
サンクリストバルにある、日本人自主管理宿「CASA★KASA」が勝手にリニューアルされた。近所の先住民に向けて屋上には「NUNCA MAS CAPITALISMO(ノーモア資本主義)」のバーナーと赤黒旗が掲げられた。さらに、近所の住民たちが見えるところには「Las mujeres con dignidad rebelde(女性たちは尊厳を持って抵抗する)」と女性革命戦士の絵、また、みんながくつろぐ所には、女性革命戦士とエミリアーノ・サパタのPUNKS版、大杉栄の「はじめの行為ありき」と「美は乱調にあり」、鈴木清順の「一期は夢よ只狂え」、アンチファのコラボ、赤黒旗などが描かれた。ドミトリーの値段は一泊45ペソ(約300円)、自炊可、ワイファイ有。サパティスタ、先住民運動、ラテン・アメリカ運動史の文献、手塚治など漫画多数有。サパティスタのこどもたちへ文具を送ろう募金もあり。

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▲CASA★KASAの屋上

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▲▼みんなで書いた
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▼大杉栄+清順+サパタPUNKS+女兵士 
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▼RLLのモデルさんと赤黒旗
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▼ビーガン寿司大会
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▼追記2 サパティスタの村でオブザーバーする方法。
Frayba(フライバ・人権団体)
http://www.frayba.org.mx/index.php

まず、どこかの団体に推薦状をもらう。サパティスタ・メキシコ先住民運動連帯関西グループでも推薦状を出してくれるという話(http://homepage2.nifty.com/Zapatista-Kansai/)。さらに、推薦状とパスポートとビザのコピーを持参し、毎週月曜日11時に事務所へゆく。スペイン語ができることが条件だが、情熱でなんとでもなる。事前に連絡をするならbricos@frayba.org.mxへ。住所Calle Brasil 14, Barrio Méxicanos, 29240 San Cristóbal de Las Casas, Chiapas, México Tel:967 6787395

▼追伸3 
これから5月1日のメーデーに合わせてキューバへゆく。都市農業を見て、その後、農村でただ働きする予定。キューバの後は、またサパティスタの村へゆくつもり。
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イスラエルでビリン村弾圧への抗議デモ!

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こんにちは。
4月17日・パレスチナ・ビリン村の分離壁反対デモの最中にパレスチナ人Basem Abu Rahmeさんを殺したイスラエル政府に抗議するデモがイスラエル・テルアビブで、4月18日、土曜日に行われました。

主催者は、イスラエル・アナーキストたち、イスラエル兵役拒否団体などです。
デモには、約500人ほどが集まりました。デモ隊は、ラビン広場から出発し、イブン・グビロール通りを行進しました。

ユーチューブにアップされております。こちらをご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=VXRoAZkKqik
簡単な訳をつけました。

抗議バーナー:
『イスラエル軍は軍服をきたテロリストだ』

シュプレヒコール:
『1、2、3、4 市役所を追い出せ! 。。。』

スピーカーで話す男性:
『彼が昨日ビリン村で殺されたことを知った際、まず私たちが最初に感じたのは、悲しみでした。
男性は、今まで石を手に持ったこともない無謀力抵抗の意思をもつ青年でした。平和を愛し、分離壁建設以来、4年半にわたって、抵抗運動を行ってきました。風の強い日でも、彼は先頭に立って、兵隊達や隊長にヘブライ語で、なぜ反対しているのかを説明しようとし、分離壁建設反対を訴えてきました。
彼が撃たれた時のビデオで見たと思いますが、誰かが近くで怪我をしたので、『隊長!待ってください。怪我人が出ています。待ってください。』とイスラエル軍に呼びかけ、その呼びかけている最中に胸を撃たれて倒れました。胸に受けた催涙弾は、心臓に穴を開けました。死因は出血多量ではなく、胸に受けた弾による怪我です。

ビリン村での抗議デモに参加していた我が友達は彼と知り合い、彼のことをよく知る機会があったか
と思います。私たちの国は、パレスチナの人々の私有地を没収し、彼らに対して理由のない暴力をふるっています。
この事件は、今まで私たちが歩いてきた抵抗運動に傷を付けられた気持ちでいますし、今回の事件は、私たちの現在の状況を物語っています。。。。ありがとう。』
美恵子


林真須美さんはやってない!

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「林真須美さんはやってない、「無罪」だ!」というメールがアナキストの友人から来た。メールの内容は和歌山カレー事件の犯人として林真須美さんに「死刑」宣告がでたという内容だった。それも林さんには事件の犯人となる物的証拠がまったくないという。物的証拠がないのに「死刑」宣告っていったい、なんなんだ!こんなことがあっていいのかあ!これは、もう我慢ならない。「ジャバスタ!もうたくさんだ!」とサパティスタのように街頭にでて叫ぶしかない。

しかし、考えてみると、日本の警察や裁判所は「無罪」を訴える人に対して簡単に「死刑」を出してきてる。私が、イラク反戦の非暴力デモで、なにもしてないのに「公務執行妨害」で19日間、留置場に入れられた。警察や検事は、まったくなにもしてないから黙秘している私に、「私が機動隊に暴力をふりました、今後、勉学に勤しみます」と書いた彼らの「供述書」を作り、サインをしろと怒鳴りちらしてきた。やってないものはやってないから、黙秘し続けた。けど、これが「死刑」なんて、たまったもんじゃない。シャレにもならない。

これは、日本だけじゃなく、世界中、どこの国家も同じだ。パレスチナ支援でイスラエル警察に逮捕されたときも、やってもないことを「やった」と言えと恐喝され、「やったと言わないなら留置場にいれてやる」と言われ、入れられた。それから、私はタイの刑務所の邦人「終身刑」者支援を細々とやってる。「終身刑」者の中には、空港でドラッグを知らないうちに誰かに仕込まれ、そのまま逮捕されて「終身刑」になる人もいる。これは、警察とドラッグの売り子が手を組んでドラッグ検挙の報奨金目的とされている。が、たいして事件の内容を調べられないまま、簡単に「終身刑」が出されている。

中々、犯人がみつからない、証拠はないが怪しいという理由から、たいして事件を調べもしないのに、逮捕、さらには「死刑」ってこんなおかしなことはない!!また、林真須美さんが、当然、犯人だと思い込んでしまう社会も病気としかいいようがない。

もう一度、いう。こんなもん「もうたくさんだ!」。街頭に出るしかない。

以下は、興味深いので、是非読んでみてください。

林真須美さんを支援する会
http://enzai.org/masumi_hayashi/

以下、林真須美さんを支援する会より勝手に引用。

林眞須美さんのメッセージ

2月24日、最高裁第三小法廷で午後3時からの口頭弁論を前にして、初めての東京集会に、本日は多忙な中、大勢の方々にご参加いただきまして感謝の気持ちでいっぱいです。本当に心より感謝申しあげます。
本日ご参加の皆様にお願いしたいことがあります。
皆さんが裁判官になったと考えてみてください。皆さんがそうなったら私に死刑判決を下しますか?何か証拠はありますか?
私は犯人ではないので何もありません。何もないはずです。
私はカレー事件の犯人ではないのです。ですから、私は何としてでも無罪判決を勝ちとらねばという強い決意で、毎日毎日を過ごしています。
とはいえ、獄中の私にできることなんて何もないのです。
弁護士の先生方には、上告審を手弁当で闘っていただいています。
また、支援者の方々や、集会にご参加してくださっている方々など多くの皆様が、無収入のボランティアで、私や4人の子供たちを力強く支えていくださっていることが、私の心の支えになっています。
どうか真犯人の方は、一刻も早く名乗り出てください。私は毎日今日か明日かと、今か今かと待ち続けてすごしています。

本日は、長女と次女は仕事の都合で参加できませんでしたが、主人と長男、三女が参加しています。
思い返せば、私が逮捕された平成10年10月4日は、当時小学5年生の長男の運動会の日でした。長女 中三、次女 中二、三女はまだ4歳でした。
日本中のマスコミが家に押しかけ、テレビも生中継で、頭上には耳が壊れてしまいそうなくらいの大騒音のヘリコプターが、10機以上も飛んでいる戦争状態のような中で、取り残されてしまった4人の子供たちは、どんなに不安な思いであったのかと思うだけで、私はいつも息が詰まり、胸が張り裂けそうになります。
子供たちは、父も母もいない中で、日本中の誰もが敵としか思えない中で、私たちはもうこの4人しか信じられる人はいないんだと、兄弟で力をあわせながら成長してきてくれました。
長男が高校生の時にはバスケットクラブに入り、一日も休まずに練習に励み、二年生の時にはキャプテンとして、過ごしていた時に、近畿大会で長男のシュートが決まったときに、「死刑囚の子」と野次が飛んだということを、主人の手記を雑誌で読んで初めて知りました。
この時のことが長男にとっては今までの人生で一番つらかったことだそうで、彼はその時に笑顔で返したそうですが、私はこのことを知って以来、半年間は情けなくて、心身ともにボロボロでなき続ける毎日でした。
そのような中でも、この子供たちは母親である私への手紙は、何ひとつとして自分たちのつらいことや不平不満は言わずに、けなげにも私を励ましてくれるものばかりでした。
私は親バカです。
私はこの、愛しくてかわいくてたまらないこの4人の子供たちのためなら、何でも、少しでもできることはしてあげたいとの思いで、机の上の写真立ての子供たちの笑顔のVサインを、46時中目にしてすごしてきました。

本日は、こんな私にそれまでは、私のことをママと呼んでいた子供たちが、この時初めてお母さんと書いて、平成11年5月13日の初公判の前に、4人の子供の連名で送ってきてくれた手紙を紹介させていただきたいと思います。
 
「お母さんへ。
5月13日の初公判で、いよいよ裁判が始まりますね。
私たち4人は、毎日元気ですごしています。安心してください。
新聞、ニュース、雑誌等のマスコミは、本当にひどいことを書いたり言ってますが、世界中のみんなが敵になっても、私たち4人はいつもお母さんのことを信じています。
どんなにつらく、何十年かかったとしても、私たちは待ち続けてます。
世界でたった一人のお母さん。どんなにつらくて苦しくても、私たちがいることを忘れないでください。負けないでください。裁判に勝ってください。裁判で勝ってお母さんが帰ってくるまで、何十年でも私たちは待ってます。
お母さん泣かないでください。必ず勝ってください。お母さんに会える日を楽しみにしてます。体に気をつけて頑張ってください。離れて初めての母の日です。
おかあさん。どうもありがとうございます。」

私は、このわが子たちの力強い成長に答えるためにも、一日も一刻も早く子供たちのもとへ帰りたいのです。
どうか皆様、本当の裁判のことを知ってください。お力をお貸しください。
なにとぞお願いいたします。

平成21年2月13日
林 眞須美


高見秀一弁護士の話

 私は一審から林眞須美さんの弁護人でしたので、まずは事件と裁判の流れを簡単に説明させて頂きますが、(以下、スクリーンに事件現場の地図を写しながら)この事件が起きたのは、平成10年の7月25日のことです。それからもう10年半経ちましたけど、この「ガレージ」と書いてある所で、事件当日に自治会の人たちが夏祭りで出すために、カレーとおでんを炊いていた。カレーの鍋は2つあり、そのうち「東側に置かれていた鍋」にヒ素が入っていたのです。
 そして、裁判では犯人だとされている林眞須美さんは、事件当日の午後0時20分ごろから午後1時ごろまでの間に、このガレージでカレーの見張りをしていました。その間に眞須美さんが、カレーにヒ素を入れたことになっているわけです。

 ただ、この事件では、眞須美さんがカレー鍋にヒ素を入れたところを見た人は誰もいません。しかし、カレー鍋が置かれていたガレージの向かいにあるお宅の、Hさんというお嬢さんが「ガレージに眞須美さんがいて、西側のカレー鍋のフタをあけ、鍋の中をのぞき込んでいるところを見た」と証言されている。西側の鍋というのは、要するに「ヒ素が入っていなかったほうの鍋」なのですが、この証言が裁判では、眞須美さんがカレー事件の犯人であるとする重要な間接事実の1つとされているのです。
 このHさんの目撃証言には色々問題があるのですが、そのうち2つの問題点について、今日はお話させてもらいます。

・眞須美さんのTシャツの色を間違った目撃証言

 この証言の1つ目の問題点は、一審でHさんが眞須美さんの当日の服装について、「白いTシャツだった」と証言されていることです。というのも、事件当日に眞須美さんが着ていたのは「黒いTシャツ」だったので、ここがまず事実と違うわけです。
 もっとも、裁判では、Hさんの言う通りに事件当日の眞須美さんの服装は、「白いTシャツ」だったと認定されています。そこで、眞須美さんの服装が白と黒、本当はどっちだったのか、事件当日にカレーの調理や見張り番をされた他の地域住民の方々の証言を元に検証してみます。

 まず、事件発生まもない98年9月、10月のころの地域住民の方々の証言をみていくと、Mさんという方が9月17日付けと10月1日付けの警察官調書でいずれも「林の奥さんは黒っぽい服を着ていたと思います」と証言されています。このMさんという方は、事件当日の午後1時ごろにカレーの見張り番を眞須美さんと交代した人ですが、その時に眞須美さんを見た記憶に基づいて証言されているわけです。
 それから、Tさんという方も、午前中にカレーやおでんの調理をしていた時に眞須美さんを見ているのですが、9月23日付けの警察官調書で「林さんが黒のTシャツ姿で、右手で子供を抱えるようにしてガレージに来たのです」と供述しておられます。また、0時20分ごろに眞須美さんとカレーの見張り番を交代したOさんという方も、10月1日付けの警察官調書で「林さんの服装は黒か紺のダボダボしたTシャツでした」と証言しておられたんです。

 また、この人たちの一審の法廷での証言をみても、TさんとMさんは眞須美さんの事件当日の服装を「黒」だと証言されています。一人だけ、Oさんが一審の法廷では眞須美さんの服装について「白っぽいTシャツでした」と証言し、捜査段階の「黒か紺」から証言が変わってしまったのですが、実はこのOさんは、証言を変遷させた理由として、法廷でこんなことを言っているのです。
「オリジナルの記憶は白だったんだけども、警察の方に調書をとられている時に、『他の人はみんな、林さんが黒のTシャツを着ていたと言っている。あなたの記憶違いじゃないか』と言われたんです。それで、みんなが黒だと言っているなら、林さんの服装が白だという私の記憶は間違いかもしれないと思って、取り調べでは黒だと言っていたんです」
つまり、眞須美さんの服装を法廷では「白」だと言ったOさんの証言によって、逆に、事件発生まもないころには地域住民のほとんどの方が眞須美さんの服装を「黒」だと証言していたことがハッキリするわけです。

・目撃者が見たのは眞須美さんではなく次女
 そして、Hさんの目撃証言に関するもう1つの問題点ですが、それは、眞須美さんがカレーの鍋のフタをあけた時、首にタオルを巻いていたと証言されていることです。というのも、他の地域住民の方々は誰一人、眞須美さんが事件当日にタオルを首に巻いていたとは証言していないんです。

 では、Hさんが見た「鍋をあけた人」、つまり「首にタオルを巻いていて、白いTシャツ姿だった人」は誰だったかというと、眞須美さんの次女だったのです。
 というのも、次女の方は、事件発生当時にフライデーが、眞須美さんと間違って写真を誌面に掲載したほど、眞須美さんと背格好がとてもよく似ていたんですね。それで、Hさんも次女の方を眞須美さんだと間違って証言したんだと思うのです。
 実際、次女の方は、「事件当日にはガレージでお母さんとずっと一緒にいた。その時に自分は白いTシャツを着ていて、首にタオルを巻いていた」と証言しています。それに、次女の方は、「お母さんと一緒にガレージにいる時にカレーの鍋のふたをあけ、味見をしました」ということを裁判が始まる前の手続から一貫して証言しているんですね。

 それと、Hさんは「カレーの鍋のフタをあけた時、眞須美さんは首にタオルを巻いていた」と証言している一方で、「午後0時20分ごろに眞須美さんを最初に見た時には、首にタオルをかけていなかった」とも証言しています。
 そのことから、一審判決は「最初は首にタオルを巻いていなかった被告人が、鍋のフタをあけた時に首にタオルを巻いていたのは、カレー鍋の見張り番をしていた時間帯に一度、家に帰ったからだ。その際、家にあったヒ素を持ってきたのだろう」と言外に匂わせている。

 しかし、Hさんの証言を検証すると、実は事件発生まもないころの検察官調書では、「眞須美さんは、最初に見た時(つまり午後0時20分よりも前の時点)から、白っぽいTシャツに黒っぽいズボンをはいていて、首にタオルを巻いていました」と証言しています。ですから、Hさんが最初に見た時に首にタオルを巻いていなかった眞須美さんが、次にHさんが見た時は首にタオルを巻いていたとされ、そのことから眞須美さんがカレーの見張り中に一度家に帰ったとしている点も、一審判決は間違っているわけです。


パレスチナ・ビリン村・分離壁反対デモで死者

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▲イスラエル軍に殺されたBasem Abu Rahmeさん 


 4月17日金曜日、パレスチナの西岸地区・ビリン村で、分離壁に反対する非暴力デモに参加していたパレスチナ人のBasem Abu Rahmeさん(29歳)がイスラエル兵が撃った高速催涙弾が胸に当たり殺された。イスラエルによるビリン村への土地没収や分離は国際協定に違反している。しかし、自分たちの生活を守ろうと抗議するパレスチナ人にイスラエル政府は連日激しい暴力・弾圧を続けている。ビリン村の非暴力デモで死者が出るのは初めて。

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▲Basem Abu Rahmeさん


引き続き、私たちに、毎日できること。

イスラエル企業支援のボイコット
http://palestine-heiwa.org/choice/list.html

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▲Basem Abu Rahmeさんを殺した高速催涙弾



抗議先

イスラエル首相オフィス
The Office of the Prime Minister,
3 Kaplan St. Hakirya, Jerusalem 91950
Fax:+972-2-566-4838
Tel: +972-2-670-5555
Email: pm_eng@pmo.gov.il

麻生太郎首相
〒100-0014
千代田区永田町2-3-1 首相官邸
Fax: 03-3581-3883
Tel:03-3581-0101/03-5253-2111

首相官邸ご意見:
http://www.kantei.go.jp/jp/forms/goiken.html


詳細:ISM
http://palsolidarity.org/


チアパスと東京のAutonomous Zone!

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サパティスタの村から帰ってきた。15日間、サパティスタの自治をしっかりと堪能してきた。報告は追って書かせていただきますわ。

サパティスタの自治も勃起しっぱなしだったが、なんとも、これはもっと勃起した動きをみつけたんで、転送します。

東京にあるボロアパートを全室借りて、みんなで修理して、そこで自治をやろっていう、とんでもなくおもろい試み!これは素晴らしい!!

ぜひぜひ。

http://jyutaku.yunegoro.lovepop.jp/

「TOKYOなんとか」4月号が完成!

今月号からページも増えました。素人の乱、気流舎、あかね、Cafe★Lavanderia (ex-poetry in the kitchen)、模索舎、IRA、じゃこばん、各店の情報&お知らせやイベント・スケジュールのほか、松本哉の「完全攻略! 東京発ヒッチハイク術」もあるし、「Tokyo Autonomous Zone」という連載も始まり、今回のVol.01 は<自由と生存の家 (四谷三丁目)>の記事を掲載、という充実内容。

各店舗をはじめいろんなところで配布中。
ダウンロードは以下から:
http://a.sanpal.co.jp/irregular/tokyonantoka/200904_01.pdf
http://a.sanpal.co.jp/irregular/tokyonantoka/200904_02.pdf
http://a.sanpal.co.jp/irregular/tokyonantoka/200904_03.pdf
http://a.sanpal.co.jp/irregular/tokyonantoka/200904_04.pdf


プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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