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シコシコアナキスト日誌

こどものあかるさ おとなのじしん

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 2008年6月9日月曜日、ヘブロンの南にあるテント生活を強いられてるパレスチナ人の村・スシヤ(Susiya)に覆面をした6人のイスラエル入植者がバットなどでパレスチナ農民に襲いかかる事件があった。覆面した入植者たちは70歳の男性の頭部、年配の男性、若い女性に木材やバットで殴りかかった。他にも倒れこんだ27歳の女性の腹部や頭部を何度となく蹴り続けた。

入植者による襲撃映像
http://www.youtube.com/watch?v=tjLetYR91nA

Video from B’tselem (このB’tselemというイスラエル・パレスチナの人権団体はパレスチナの問題の多い地区の家庭にビデオを配り、イスラエル兵や入植者からの攻撃を録画している。)

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スシヤは、パレスチナ・西岸地区の南に位置し、イスラエルとのボーダーに面している。この村は1985年からイスラエル兵に家や村を破壊されはじめた。そして現在に至るまでスシヤの農民たちはテント暮らしを強いられている。農民たちは何度となく壊された家を建て直したが、その都度兵隊たちにブルドーザーで壊されてきた。
 現在、300人の村民が農業や羊飼いなどをして生活している。しかし兵隊や入植者たちからの攻撃は日常的で、生活源であるオリーブの木を切られたり、羊をひき殺されたりしている。

 わたしがこの村を訪れたのは、この事件の起きる約2週間前の5月23日だった。農民たちはわたしをテントの中に入れてくれた。そして、とめどなくイスラエル兵や入植者からの暴行や家を破壊された話などを語ってくれた。テントの中は質素だけど綺麗に掃除されていて、狭い一間に家族数人で生活していた。また、テント内にはキッチンや冷蔵庫など生活に必要最低限なものだけ置いてあった。下ろしたての羊の肉をご馳走になった。あまりの新鮮さに舌が硬直した。
 テントの外はあまり緑のない岩地で、暑さが身に応えた。この暑さを凌ぐために農民たちは洞窟を住居にしていた。しかし、その多くが兵隊たちに破壊された。さらに、自分たちでつくった生命源である井戸も入植者や兵隊に潰された。現在は、各地の支援団体からの支援でなんとか生活している。
 イスラエル兵や入植者たちに厳しい環境に追い込まれているのに、どうしてここに住み続けるのか?という質問をした。農民たちはこう答えていた。

「ここは私たちが長いこと住んできた土地だ。ここが私たちの故郷だ。だから、私たちはここに住み続けるのだ。」

 農民たちの背中から自信と尊厳を感じた。そして、それを見て育ったスシヤの子どもたちは底抜けに明るかった。この明るさがあるからこそ、この村は生き続けことができるのかもしれない。この明るさがイスラエル政府にとって脅威なのかもしれない。


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▲スシヤ村の向こうに見えるのはイスラエル。今から60年前の1948年パレスチナ人の大惨事「ナクバ」が始まった年。つまりイスラエル建国の年。

▼スシヤ村のテントと子どもたち
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プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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