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シコシコアナキスト日誌

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パレスチナの隔離壁観光地化計画

Category: 未分類  
パレスチナの隔離壁観光地化計画に対するレスポンスをかえしてくれた小田マサノリ氏ことイルコモンズ氏のブログ。ぜひ、おもしろいので必見!!
http://illcomm.exblog.jp/6829832/


それから、この間のベツレヘムの近くの村で起きたクリスマスデモの逮捕瞬間映像。デモには増え続けるユダヤ人入植地に反対する人たちが集まった。このパレスチナの村はもうじき入植地として奪われてしまうかもしれない。

デモは非暴力行動で行われた。しかし、いつものように兵隊は暴力によってデモ隊を鎮圧してきた。それに対して、パレスチナ・サンタクロースはひたすら飴玉を兵隊に配り続けた。

わたしは、イスラエル兵が非暴力でデモしていたパレスチナ人を逮捕する瞬間をずっと真横で撮影していた。さらに、逮捕の止めに入ってみた。するとすごく威嚇され、わたしを逮捕してこようとしてきた。だから、わたしは地面に寝た。すると逮捕に手こずり、隙を見て逃げれた。逮捕されそうになったら寝るのはとてもよい戦術だ。これも団体に参加する前に習った。


おととい、わたしのいるヘブロンで、ユダヤ人入植者が2人殺された。ヘブロンの重要チェックポイントは封鎖され、身動きがとれなくなった。さらに小さいナイフを持った少年が8時間も路上で手錠をかけられ拘束されていた。また、街のいたるところに銃口に手をかけた兵隊がパレスチナ市民を監視している。なにか不振(兵隊から見て)だったり反抗的だと、すぐに捕まり、銃口を向けられ拘束される。今、街は静かな緊張感が流れている。ユダヤ人の殺しの報復は何十倍にもかえってくる。だから、ヘブロン市民全体が激しい監視や抑圧をうけている。昨日は、民家に兵隊が押し入り荒らしてかえったようだ。その家にいってみた。

最初は、兵隊の荒らされた話をしていたのだが、話が途中からこどもの病院代の話になった。そして、どうやら金をくれと連れのスウエーデン活動家に頼んでいる。彼らは困っていた。するとわたしのおなかが急に痛くなり、彼らもそれをさっし、じゃあ、帰ろうと、なんとか金の無心の話から逃げて外へ出れた。するとお腹の痛みも消えた。

明日は、大晦日。わが友たちの健康と来年の活躍を願って!!
南無森羅万象

パレスチナ人の逮捕瞬間
http://www.youtube.com/watch?v=GLCiLUp5-dg


写真
左    8時間拘束され手錠をされる少年
真ん中 クリスマスデモのサンタさん
右    サダムフセインの写真をもつ、昨日家をイスラエル兵に荒らされたパレスチナ人
     ちなみにパレスチナの支援をずっとしてきたサダムフセインはパレスチナで人気が高     い。アメリカはフセインを絶対悪とみるが、多くのパレスチナ人にとってはヒーロー。      見方と角度を変えるとまったくの正反対。
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この壁の向こう

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今から数年前、大学生だったころ、大学構内でつくられた壁に「この壁の向こうはパレスチナだ!」って落書きしたことがある。この壁は、学生にはなにも告げられずに校内の真ん中に一方的に建てられた。

わたしは、大学5年間、学生自治(サークル連合)に時間をつぶしてきた。学生自身が自主管理で部室棟を管理してゆく。学生たちで会議をおこない、決定事項を大学にもっていく。そして大学からの要望を学生に通す。はっきりいえば、うまくは機能していなかった。それでも、なんとか崖っぷちで学生自身の自主管理を維持してこれた。そして、学生生活をぎりぎりのラインで自己決定してゆくことができた。

この時期、早稲田をはじめ、法政、いろんな大学で学生自治が失われはじめていた。わたしの大学・和光大学は小さな実験大学を理念におき、ホーチミン広場があったり、かまどに火をともしてしょちゅう泊り込みの祭りや、ふざけたイベントがあった。これは学生自治が一応あるからできた。教授陣もラディカルで学生自治への関心も高かった。だから学生自身も自治を失わないというどこか安心感もあった。

それでも、いつかは、管理強化がはじまり、学生自治が失われる日がくるとおもっていた。

それが今きたようだ。

詳しくはわからない。

わたしは今、「この壁の向こうはパレスチナだ!」と書いたパレスチナにいる。もしかすると本当にあの壁の向こうはパレスチナだったのかもしれない。今、パレスチナの壁から向こう側を思う。壁の向こう側はわたしの大学かもしれない。そこでは、学生自治を守ろうとする学生とそれを奪う大学がいるかもしれない。

どこも、同じだ。吐き気がするほど同じだ。

いつだったか酔っ払った先輩が、ゲバラの言葉をもじって、「自分のまわりに和光を作れ」っていっていた。そうだ、それしかないかもしれない。どこへいても、そうするしかないかもしれない。和光大学の自主管理がつぶれたら、またつくればいい、どこかちがう場所に。

これは、和光だけじゃなく、すべてにいえるきがする。


追記

ということで、叩かれてもただではおきない。射精ぐらいじゃ気がすまない。
日本のアナキストシーンやグラフシーンに今日呼びかけたところ、もう今日
レスポンスがかえってきた。ということで、やります。一緒にやりましょう!
 
パレスチナ人隔離塀・観光地化に連帯!!
http://mixi.jp/view_album.pl?page=1&mode=photo&id=9137184

写真はイルコモンズ氏がつくってくれたもの。こいつを貼ります!TCDC_181_WALL.jpg
korosuna_181_wall.jpg


イスラエル兵に拘束されて瞑想しよう!特典映像付き

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拘束映像
http://www.youtube.com/osasimiichiban

ヘブロンの街にはいたるところに、検問所がある。私も毎日、移動するのに何度も検問を通過しなくてはいけない。そのたびに金属類を身体から取り外して金属探知機のゲートをくぐる。兵隊とわたしは、いい加減顔なじみのくせに毎回パスポートを見せ、荷物チェックをうける。ちょっと、ゴミを捨てにゆくだけでも、チェックされる。そしてたまになぜか怒鳴られる。パレスチナのこどもたちの登下校をいつもカメラをもって見守っているせいか、彼らはわたしたちのことをよく思っていない。

この間、わたしたちは農家の手伝いに行く用事があった。パレスチナの農園では昔からオリーブの収穫をやっている。しかし、元々オリーブ農園だった土地のほとんどが、後から来た入植者のイスラエル軍や武装したイスラエル市民に根こそぎ奪われてしまった。今でも、残っている農園の中には常に武装したイスラエル兵やイスラエル市民が農民を取り囲んでいるところが多い。わたしたちは、そのイスラエル兵が取り囲んでいるオリーブ農園に向かった。

わたしは時間に追われ急いでいた。だから、カバンの中をしっかりチェックするのを忘れていた。いつものように検問所で荷物検査をうけた。すると、兵隊が急に怒りだした。

兵隊「なんだ!これは!ナイフじゃないか!!!(英語)」

わたし「ああああ、やべええ、かばんから出すの忘れてた!(もちろん日本語)」

わたしは、旅でいつも愛用しているジュットクナイフ(小さいナイフとドライバーや栓抜き、缶きりなどがついたナイフ)をかばんから出すのを忘れていた。さらに、この間ナイフを携帯していたパレスチナの若者が逮捕されてたのをこの時思い出した。

わたしはすぐに、拘束された。手錠はされなかったものの、壁にむかって立たされた。それは、まるでユダヤ教徒がエルサレムの嘆きの壁へむかって拝んでる姿にもだぶった。なおもかばんはチェックされ、今度はコンドームがとりだされた。コンドームとナイフ、最高に悪い組み合わせだ。さっそく兵隊は得意げな顔をして、お前はテロリストだなぁとか、これとこれでお前は女をRAPEする気だなぁと説教しはじめた。さらにナイフをわざと見せびらかし、パレスチナの人々にこいつは武器をもっているんだ、というアピールをしはじめた。国際非暴力団体がナイフ所持とコンドームときたら、これはバツが悪い。

何度となくわたしは兵隊に対して、そんな小さなナイフじゃ人は殺せやしない、それは野菜を切るためのものだ、俺のナイフよりお前のライフルの方がよっぽど危険じゃないか、といってみた。が、それは怒りを増幅させるだけで、兵隊はもっと怒りだした。そしてついに、壁にむかって座らされた。兵隊は長期の放置プレイに持ち込もうとしていた。兵隊がわたしたちを拘束できるのは3時間と聞いている。その後、警察に移管され24時間の拘束。しかし24時間の拘束は非常に不安を感じた。なぜなら今日は農園の後、デートの約束があったからだ。なによりも兵隊に奪われたコンドームを今晩大いに膨らまして世界一周しようと思っていた。

 しかし、拘束されたら逃げるわけにもいかない。ひそかな不安に襲われながら、じっとすることにした。それに、仲間のフランス・ラスタファイが少し離れたところからカメラをまわしてくれていた。
わたしは、少し冷静を取り戻しあることに気がついた。そうだ、ここで、わたしは毎日の日課にもしている座禅を組もう。

わたしは兵隊の見張る中、座禅を組んだ。

座禅するわたしの横を、パレスチナの人々は興味津々な顔でこちらをみていた。だからわたしも必要以上に神秘的ぶって、ヨガのポーズなどもとりいれてみた。するとみんなもっとよろこんでいた。これはなかなかいいパフォーマンスなことに気がついた。

兵隊も、ヨガに興味を持ち出した。そして一時間ぐらいたった頃に、兵隊はわたしに今回だけは見逃してやるみたいなことを言い出した。開放に喜びを感じたわたしは兵隊に投げキッスをした。すると、ヘブライ語でかつてないほど怒りだした。こちらも向こうの言葉をなぞって言い返してみたら彼はもっと怒った。これで今日は終わったなぁと思った。デートも世界一周もお預けだなと思った。

それ以降、一言も口を利くなのと命じられ仕方なく、瞑想にふけることにした。

いろいろ考えてみた。

なぜ、わたしはここにいるのだろうか???


なぜか、、、わたしは、パレスチナで決起ではなく勃起がしたいのかもしれない。武装した兵隊に囲まれて、生きてる実感が欲しいだけなのかもしれない。戦場カメラマンが、戦場の真実を伝えたいという表すじの裏側は、カメラマン自身の裏すじを舐められたいという欲求かもしれない。

危険や死の匂い、権力、欲望の中から生の匂いを嗅ぎだしたいのかもしれない、そして、自分の股間をまさぐり射精したいのかもしれない。

わたしはこの快楽を素直に受け入れようと思う。

パレスチナやさまざまな土地で活動する団体の多くは、人権や理念を守らなくてはいけないという。そうだ、まったくその通りだ。かといって、人権を守ろうという人間たちの考えが全て正しいわけではない。土地には土地のやり方がある。たとえば、人権団体からみたらその土地のやり方が人権違反にうつる場合がある。たとえ土地のやり方がうまくいっているにも関わらず、人権団体にとっては人権違反にうつり土地のやり方をやめさせ、人権団体のやり方に切り替えたとする。この瞬間に人権団体が新たな侵略者になる。

わたしは人のためによいことをしているんだ。パレスチナの人たちのために闘っているんだ。わたしは自分のためではなく、人のために行動していると思い込んだ瞬間、わたしの陰から新たな侵略者が顔を覗かせているような気がして仕方がない。
 親鸞はいった、良いことをしてると思ってるときは、悪いことをしてると思えと。親鸞の言葉は、自分は良いと思い込んだ行為(好意)が実は相手は望んでないことかもしれない、押し付けることは、新たな権力を生む行為になるかもしれない。そういっているような気がする。

だから、わたしはあくまでも、わたしの行為は示威好意ではなく、自慰行為だと自覚しようと思った。そう思えば、わたしはもっと自由になれるかもしれない。オナニーで空を飛べるかもしれない。

それに人権第一の国が一概にいいとはいえない。福祉国家ほど、自殺率が高いのはなぜのなか?人権がほとんどないパレスチナの石を投げる若者にもつ、煮えたぎる生は一体なんなのか?けれど、そんな彼らにはなれないわたしがここにいる。そして、福祉国家に住みたくないわたしもここにいる。


そうこう瞑想していたら、イスラエル人活動家が来て、わたしをイスラエル兵士から解放してくれた。そして、わたしは農園で手伝いをしたあと、大好きな彼女のもとへむかった。革命に恋がなければナンセンス!って、わたしの敬愛する人がいっていた。


トライブを増やそう!

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今は、毎日、非暴力団体の事務所に寝泊りしている。しかし、あらためて「非暴力団体」と漢字で書いてみるとなんとも変な気がする。非暴力団体、非を抜くと、暴力団体。しばし考える。
 まあ、どちらでもよろしいですね。

 ちなみにこの団体の名はISM、インターナショナル・ソリダリティー・ムーブメントという。
http://www.palsolidarity.org/main/
日本語にすると、国際連帯運動っていうのか。しかし、やっぱり漢字で書くと重重しい。しかし下手に英語でシャッレけだしてもね。まぁ、どちらでもよろしいですね。

 この団体に世界各地の活動家やアナキスト、フリークスが集まってくる。だいたい、パレスチナまで来て、好き好んで武装した兵隊の前に身をさらけ出すなんて、ちょっとした変態じゃないとやらない気もする。Mっけがないとねーなんていったら怒られそうだけど。ともかく、わたしもMっけたっぷりですしね。まだまだ甘いですが。

ということで、今は、世界中の変態たちと一緒に暮らしている。
毎日一緒に飯をつくり糞をたれ、くだらない話をしながら、時に政治の話をしながら、みんなで生活をしている。しかし、かなり人の入れ替わりも激しい。うけたのが、8人ぐらいでみんなで食事した時、8人中、私以外全員が筋金入りのベジタリアンだったりとか。

この前までずっと一緒だった奴は、フランス人ラスタファィ。ぼろぼろの服に自分で編んだドレッドヘヤー。こよなくレゲーを愛し、心の底からラスタファリズムを信仰している男だった。白人だけど、ひたすら黒人解放を叫び、常にジャーラスタファイ!!なんてつぶやいている。(正しいかわからんが、参照ラスタファリズムhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0
)そんな彼は熱心なモスリムでもある。もちろんベジタリアン。酒はやらない生粋のガンジャマン。しかし、この間、フィンランドの活動家とエロい感じになり、長年禁じていた酒を飲んでいた。こういう徹底しない態度が、わたしは大好きだ。以前、わたしは彼に誤って、肉を食わせたこともある、、これはわたしが徹底してないだけだけど。こいつはいけないことですね。あはははは

それから、イギリス人女性で、アナキストで、スクオッター(空き家を占拠してそこを新たな居住空間、コミュニティ空間に変える運動)でパンクスで、みためはサイコビリーで、レズビアンで、、、なんと、熱心な創価学会員!!!彼女は日蓮BUDDISMっていっている。

この最後の創価学会ってのにはびっくりした。軽く議論もうってみたけど、なんとも熱心な方なので、それはそれでリスペクトしようと思いました。しかし、アナキストでレズビアンで創価っていうこの組み合わせには頭を鈍器で打たれた。アナキズムと創価イズムが共生するとは、世の中、不可能なことはないのかもしれない。ただ、彼女にいいたいのは、創価のもうひとつの顔である公明党が、アメリカ政府を支援し戦争に加担しているという点は、仏教とアナキズムの考えとは合い反する。問題はこの一点だけだ。あとは、各々好きにやればいい。

それから、今、わたしの恋する彼女は、ポーランド人で、筋金入りのアナキストで、ポーランドスクオットシーン(2000年ぐらいからスタートしたらしい。長いこと空き家だった家を大家と交渉して住み込み、コミュニティーセンターという名をおいて、こどもの保育所、ライブハウス、クラブ、アトリエ、展示場、居住空間に置き換えた。しかしアナキストの保母さんってなんとも素敵な話だ。)の初期メンバーで、PUNKSで、ベジタリアンで、ポーランドのフード・ノット・ボムのメンバー(爆弾の代わりに金のない人々に飯を配るアナキストたち)で、見た目は自分で編んだドレッドが腰まで伸びて、ギラギラに真っ黒いPUNKSのかっこうをして、パレスチナでイスラエル兵が破壊した水道管を新たに作り直す団体で働いている。

それから、昨日きた新しいメンバーは、アメリカ人で身体刺青だらけのハードコアバンドマンで、クリスチャンで、サーファーで、イラクで平和活動をしていたアクティビストだ。

こう文章に書いてみると、●●人というくくり以外は、すべて自分で決定したカテゴリーになる。こうやって、どんどん、新たなカテゴリーをつくってゆくことは、ある種、自分の所属が増えるわけで、自分を一個に固定することができなくなる。これはこれで国家という一方的なくくりを無化してゆくことになる。それになによりも、自分で自分の所属を決めるという点が、一番の重要な気がする。

 自分のトライブ(所属するコミュニティ)を自分で決める。そして、そこで交わる。点(トライブ)と違う点をつなげてゆく、すると円になる。これは新たな可能性をたくさん秘めてると思う。普段は対立するものを、和解にもってゆくチャンスがあると思う。例えば、パレスチナ人に対する隔離、管理政策を行うイスラエル政府にイスラエル市民が止めに入ってゆくことで、パレスチナとイスラエルの関係性をかえてゆく。


 ところでわたし自身のトライブは、アナキストで、仏教徒で、PUNKSで、B-BOYで、バックパッカーで、アルコリストで、フリーダムファイターで、精神的バイセクシャルで、筋金入りのオナニストであるわけだ。で、最近は、モスクに通ってモスリムに混じって礼拝をしている。ということで、わたしはわたしをモスリムと呼べるのかわからないが、新たなトライブとして、モスリムを追加しようと思う。しかし、酒のみがモスリムってのはなぁ、これはハラム(タブー)だ!!

とにかく、いろいろなトライブをぐちゃぐちゃに混ぜて自分好みのカクテルをつくるなんて最高におもしろいんじゃないのかしら。こんな酔い心地のいいカクテル、あたし、飲んだことない。なんて。

そんなわけで皆様、アッサラームマーレコン、アラハンドリラー、インシャアッラー。
アッラーアクバル!(アッラーは偉大なり)

皆さんの健康をねがって。

写真はいとしの彼女。ふられたあとはしっかり消します。

それとイギリスのバンクシーというグラフティー集団。http://www.banksy.co.uk/
今彼らは、パレスチナの隔離壁にグラフを書き、それ関係の人たちで個展をやっているらしい。まだいっていない。ぜひ、チェックされたし。


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新たに愚痴ライブ映像が追加されました。暇な方どうぞ。また更新されます。
http://www.youtube.com/profile_videos?user=toshooomaaasaki&p=r

天皇紙芝居. 88歳老人反戦生電話ライブ.裏声ハードコア


愚痴ライブ映像+フルチンCM映像ついに登場!!

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以下へとんでください。
http://www.youtube.com/user/toshooomaaasaki


KODA KUN が英訳されました。

Category: 未分類  
先日書いた、「香田くん」についての文が英訳されました。英語のお勉強にもなるので是非お読みください!!訳したのは、アメリカのアナキストで大学教員のエイドリアンの学生が訳してくれました。ありがたやー。また、友人のフランス・ラスタファイのブログ、フィンランドのアクティビストのブログにも掲載してもらいました。

http://adriennecareyhurley.blogspot.com/2007/12/koda-kun-by-shiga-naoki-translated-by.html



“Koda-kun” by Shiga Naoki (translated by Shiori Yamazaki)








My wonderful graduate student Shiori Yamazaki translated the post that appeared here on the Irregular Rhythm Asylum blog. Shiga is the same anarchist and punk singer (of Guchi) who made this "dismantle the emperor system" poster. He is currently traveling around the world. The names in Shiori's translation below are like in English with the surname last and given name first. Please share this with others.


THURSDAY, NOVEMBER 15, 2007
"Koda-kun" by Naoki Shiga
translated by Shiori Yamazaki


There is an inn in Amman in Jordan, where Shosei Koda, who was killed in Iraq, had once stayed. One backpacker set out for Iraq by himself from this inn three years ago.

Iraq has been in a state of invasion by the US Army from the Gulf War up until the present. The US Army has killed countless Iraqis during this invasion. The Japanese government also has dispatched the SDF (Self Defense Force) troops to support the US Army. There are many guerrillas, of course, in Iraq (the US calls guerrillas terrorists), who resist these invading armies.

Under these circumstances, Koda-kun was captured three years ago by the guerillas who were resisting the US army’s invasion. The guerrillas demanded that the Japanese government withdraw the SDF troops from Iraq, as a condition of Koda-kun’s release.

The news about Koda-kun being taken as a hostage spread all over Japan. However, the Japanese government didn’t accept the guerrilla’s demand. And he was killed. Mass communication and public opinion expressed sympathy toward him before he was killed. As soon as he was killed, however, mass communication and public opinion, from the government on down, all of the sudden, started to criticize Koda, depicting him as the bad guy, who had selfishly gone to Iraq. In the end, they tried to deny his entire existence by using the word “jikosekinin [self-responsibility].”

Since that day, I’ve never been able to forget about his death. There are, of course, occasions when I forget, but it’s stuck somewhere in my heart all the time.

Why is that? Is it because I am the same age as him? Or is it because I am a traveler like him? Or is it because I’ve opposed all sorts of wars such as the one being carried out by the US army? Or opposed the Japanese government’s reaction toward him? Or opposed the mass communication and public opinions, who kept insulting him, a man who had already died?

Probably, all of these things have stuck in me. Most of the mass communication didn’t talk about such a thing as “why” he went to Iraq. What on earth did he want to do in Iraq?

The answer was written down on a note, which was left at KODA hotel (Mr. Samer, an employee of the inn where Koda-kun stayed, named it after Koda-kun to mourn him).



Koda-kun wanted to help Iraqi kids who had been hurt by the war, and he tried to look at reality with his own eyes, the reality which TV doesn’t show. And he acted.
There are pictures in the note which Koda-kun passed Mr. Samer before leaving for Iraq.

There are Iraqi children in this picture who have been hurt by the US army’s bombings. (Koda-kun’s family made a copy of this picture and sent it to Mr. Samer later.)

I had no idea for what reason Koda-kun tried to go to Iraq until I came to the inn, “Koda Hotel” in Amman. So, I want to introduce it here for those like me who didn’t know about it. (The reason why he tried to go to Iraq has been referred to in some books and magazines.)

I couldn’t for the life of me forget about Koda-kun’s death. I offered rice hot from the pot and vodka for Koda-kun’s picture, which was decorated in Koda Hotel. Also, I chanted a sutra and said a mass for him. This picture [of Koda-kun] is the one which Koda-kun’s family passed on to Mr. Samer.

Nothing changes, however, even after a fake monk or a high priest holds a mass. The thing that’d change is just my feelings. I just take over his will as I like – his wish to help Iraqi children. And I act to disallow this kind of situation [which is portrayed in the] pictures of Iraqi children, who have been hurt by bombings. I will also live his life as well. I like to think of it in this way.

I can’t help feeling that Koda-kun, who is on trip, is in this inn in Amman. I also feel that he is supporting us who are traveling around the world like him. This might be an illusion, but I feel it is so.








(These notes are the story that I gathered from what Mr. Samer of Koda Hotel told me. I hope you can read it well.)

P.S.1 Many refugees, whose homes in Iraq were taken, have been escaping to Jordan and Syria. The Iraqi doctor who I talked to told me about the many killings by the US Army. Our talk was interrupted because we were at a loss for words, because of either sadness or anger.

And on the same night, a few Japanese, Iraqi, American, Australian, Germans and I went to see a movie called “the Zigizigi Land,” which is about a Palestinian who works as a taxi driver in the US. The movie opens up the pathology of the whole American society, cynically and sharply shown through the conversation between the Palestinian driver and the passengers. It criticizes severely the apartheid toward Palestinians by the Israeli government.

I thought that it is a significant thing to be able to talk about the Palestinian problem through one movie with everyone, as individuals, beyond our nationalities, races, and situations such as being Iraqi, American, Japanese, Australian, or German. I also think that it is [because of] the power of movie or art.

Besides, we all are against the war as individuals when we get rid of our delicate positions. I think that it is the first step to change how each government deals with Palestinian apartheid, Israel’s invasion, and the US Army’s invasion of Iraq, starting with the Japanese government who supports them. Then, if we could take them into our daily lives practically, even it’s slow, I think they would have widespread grassroots support.

P.S. 2 I went to the Palestinian refugee’s area in Lebanon. Kids full of energy were running around downtown among the remains of gunfire. The city was full of life with various kinds of shops. The Palestinian flags were displayed and the posters of Palestine releases were put up all over the town. The road of returning to Palestine hasn’t ended yet. Even if the world forgets when it’s convenient, they’d live like weeds which grow through asphalt.


I went to a shop there which sells Palestine releases. I bought some T-shirts and Palestine stoles. Please purchase them when they get to IRA soon if you are interested. (They are here! IRA)

Labels: Anti-War, Palestine, shiga
POSTED BY IRA_K AT 2:57 PM





Samer notes:


There was a phone call to Cliff Hotel from an Arabian man (I think he is a Taxi driver.) at around 4 in October 19th, 2004.

“There is a Japanese person who wants to go to your hotel. Can you tell me the address?” he said.

Koda came to Cliff Hotel with the driver 5 minutes later.

He didn’t even mention about Iraq at first, but said “I want to stay at a dormitory,” so I took him to his room and was writing his name (check-in). (The interaction around here is a little different from the book by Yuji Shimokawa, but I’ve just recorded the story of Samer himself.) [Yuji Shimokawa wrote a book called “Why Shousei Koda was killed?”]

Then, he suddenly said “I want to go to Iraq. Can you tell me where I can use a service?”

“It is too dangerous to go there by a service,” I said because the people who use a service are only tourists and there is a risk of being targeted.
And Koda said “I have to go.”

I asked the reason, and he said “I want to help Iraqi children. I want to go to Iraq, look at what is going on with my own eyes, and tell the Japanese people when I return to Japan.”

I answered “you can only go by bus if you really want.” He said “OK. Please make a reservation now.” I could have made a reservation if I wanted to, but I thought there’d be a chance that I could stop him, so I lied saying “it’s too late to make a reservation today.” He returned to his room saying “then please make a reservation on tomorrow’s bus.”

It was around 4:30pm when Koda came out from his room and went out to buy a sandwich and ate it at the balcony in the back of reception.

After that, he went back to his room, and after a while, he was looking at an information note standing in front of the bookshelf in the lobby. And he went back to his room right after that.

He looked different from other tourists. (he seemed like he was thinking about something.)

After half an hour, he came out from his room, sat on a chair for a long time in the balcony, and was looking out the street. I was worried about him, so I went out to the balcony and talked to him asking “do you still want to go to Iraq?” He just answered “yes” with a serious face. I asked a guy who was staying at the Cliff hotel at that time to talk to Koda. I wanted him to quit thinking about going to Iraq by talking to a Japanese person.

That guy went out to the balcony, and talked with Koda. I tried to make him comfortable by telling some jokes “haven’t you changed your mind? If you really go to Iraq, you will be on Aljazirra (a news program of a satellite TV company in Qatar.)”
The other guy laughed at it, but Koda didn’t show a smile. He seemed upset.

After that, Koda and that guy talked for a long time. After they finished talking, the Japanese person said “He’s insisting on going to Iraq. No one can stop him.”

Koda woke up at around 10 the next morning (October 20th), asked me “did you make a reservation?” I answered saying “I did it for the bus leaving 6pm,” but it was a lie, because I thought there was a chance I could still stop him. He checked out at noon and was sitting the couch in the lobby, and I asked him many times “you haven’t changed your mind about going to Iraq?” but he said “no, I haven’t.”

I had to make a reservation by 2pm if I needed to make a reservation, so I asked him once again before 2. But he didn’t change his mind about going to Iraq. So, I had to make a reservation for a bus. I couldn’t stop him.

Koda passed me one thing at around 2 or 3 pm saying “please keep this until I get back from Iraq.” It was a stone that he picked up at the Dead Sea, a towel, and pictures of Iraqi children. There were about 10 pictures, and portrayed children who hurt by the war. Koda said “I got them from a Japanese person.”

After he died, I sent them to his family, and they sent me back one copy of the pictures and Koda’s picture. (they are in Samer’s book.)

The picture of children who they sent me was ok. Those pictures were the children who were hurt much worse than that. I think Koda wanted to do something for these kids.

Koda kept reading the information note until the departure, except for a time when he went out. The Japanese man (who talked with Koda last night) and I went to the bus terminal with Koda to see him off at around 5pm. He said “Assalam/Good-bye,” and took off on the bus.

2 hours after we saw him off, I decided to make a phone call to the Japanese Embassy. I said “A Japanese person, who is called ‘Shousei Koda’ left for Iraq 2 hours ago. I don’t think he has reached the border yet. I want you to stop him if possible.” The embassy said just “Thank you for your call. Please let us know if you get some more information.”

After that, I called someone who I know working at a hotel in Bagdad and asked if a Japanese person came or not, but I was told that he hadn’t. I was sure that Koda would go to the hotel because I told him about it, so I called again after a while. Then he said “A Japanese guy sure came by, but we can’t guarantee his safety, and the hotel could be targeted instead, so we couldn’t let him stay.”



A person from United Nation, who Mr. Samer knows, called the hotel at around midnight on 26th and said “A Japanese person was captured as a hostage in Iraq. Please watch either Aljazeera or NHK.” I turned on TV, and found Koda, who was surrounded by an armed group. I was so surprised and shocked.

When I found that Koda was captured by the element of al Qaeda lead by Zarqawi, I felt desperate like “if the Japanese government didn’t do anything during the time al Qaeda is demanding, he will be killed for sure.”

After that, people came from the Japanese government (foreign ministry) to Cliff Hotel, and asked me about various kinds of things concerning Koda. But when the three including Takato-san [and Imai-kun] were captured as hostages in Iraq a half years ago [2004], various kinds of people like the foreign ministry, the SDF, the Jordan government, came many times, and asked me many more things, and it was chaos.
But, this time with Koda wasn’t like that.

I’m wondering if they were thinking that he would be rescued like the three, and not be killed. I thought, however, “this is dangerous.” The al Qaeda group who caught Koda was too dangerous.

Later, there were two reports saying “Asian’s dead body was found,” but it wasn’t Koda. But I learned that he was found dead at 10pm on the 30th by the news. There was a phone call from the Japanese government that told me that he had been killed.

2 days later, I received a phone call from his family, and I apologized. They said “it’s not your fault.” When I found out that Koda was killed, I swore that I would name the hotel after Koda when I own it- which is my dream- and never forget about him.

A few months later, I called the Japanese Embassy, and asked them to tell Koda’s family “I want to name the hotel ‘KODA HOTEL’.” 1 week later, his family sent me a fax saying “thank you very much. When you make a hotel, please use his name, either KODA or SHOUSEI is fine.”

But, I was told that the City of Jordan can’t allow me to use “KODA HOTEL.” (I wonder if that was because it’s a personal name or because of the incident.) Actually, there are some procedures to change the name of the hotel which I will take over, and it takes time and money. It is too much, so I will start with the hotel’s name as it is now, but when I have more time and money, I will try to change it to ‘KODA HOTEL.’

But if I could open a hotel, I’ll write ‘KODA HOTEL’ in Japanese under the hotel’s name (so that the city wouldn’t know it.) try not to forget about him ever, and I don’t want people to forget about him.

[the translator’s note: Mr. Samer did open his own hotel whose name is KODA HOTEL on October 1st this year.]




http://adriennecareyhurley.blogspot.com/2007/12/koda-kun-by-shiga-naoki-translated-by.html


プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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