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シコシコアナキスト日誌

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買うことと回収されることの意味

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 毎日、パレスチナのこどもたちに向けられたイスラエル兵の銃口の出元は、アメリカ政府からの無償の軍事援助であって、そのアメリカ政府を一番に援助しているのは日本政府であって、日本政府の収入源は日本の人々の肉税であって、また同時に日本企業が世界各地で儲けてきた金であって、、、そんなわけで、こうしてめぐりにめぐって、わたしが働いて回収された金が、もしかすると、今、ここ、パレスチナのこどもたちに向けられたイスラエル兵の銃口の一部かもしれないわけで、なんとも嫌な話であると同時に、どうも黙って金を回収されるわけにもいかない。

といっても、今は納税してないから、できることといったら、イスラエル製品のボイコットしかない。商品バーコードが「7 29」だとイスラエル製品。しかし、パレスチナ製品も同番号の場合もあるので、ヘブライ語(イスラエル)かアラビア語(パレスチナ)で判断するしかない。

パレスチナ人によるイスラエル製品ボイコット運動は盛んだ。なぜなら、買った分だけ、その金が自分たちの首をしめる資金になるからだ。

物を買うということの、もうひとつの意味。回収される肉税の行く先。これを今、まじまじと戦場で思い知らされる。

わたしは忘れていた、世界中、一度だって戦争は終わってなんかいなかったし、いつどこへいっても、わたしも戦争に関わっていることに。

◎写真はイスラエル兵の銃口に向かうパレスチナ農民+イスラエル&世界各国の活動家による非暴力直接行動の写真、どこぞのジャーナリストが撮ったもの。ちゃっかり私もいます。

右は 通学の子どもと兵隊。兵士の中にはセネガルなどのアフリカン、またロシア、旧ソ連圏の出稼ぎ兵士も多い。

bilin.jpg

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「緑のおばさん」ならぬ「黒いおっさん」

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 私は今、パレスチナのヘブロンにいます。時折街からは銃声が飛び交っています。昨日は、モスリムたちの怒りの声が街中に響き渡っていました。なぜ彼らが怒っているのか?
 ひとつは、この街のいたるところに、イスラエル軍の検問所があるからです。検問所を通るたびに、パレスチナ人は荷物をチェックされます。また、常にライフルを持った兵隊が立っています。通学に通う小学生は片道だけで一日4回も検問を通る子もいます。

 また、丘から街を見渡すと、民家の屋上に兵隊が監視しています。一軒だけではなくそれが無数にあります。重要なポイントにはイスラエル軍の基地もあります。街もいたるとことろが封鎖されています。そんな中に、ヘブロンの人々は毎日暮らしています。

 今、わたしは、こどもたちが安全に学校へ通えるよう検問所の横で、カメラを構えて兵隊の監視をしています。兵隊さんは、すぐに怒ります。だから、わたしは瞑想しながら、落ち着いて相手をします。兵隊さんは、とても若い。10代です。少し、気を許すといろいろ話てきます。兵隊さんも早く兵隊を終えてどこかへ旅をしたいようです。
 
ひとりの兵隊さんは、軍が終わったら、日本やオーストラリアにゆきたいと語っていました。

 しかし、そんな彼らは命令のせいか、それとも人間の性質ゆえかアイヒマンの実験のように、任務を遂行します。だからパレスチナ人に対する態度はとても怖い。

それでも、中には、子どもと笑顔で握手をする兵隊さんもいる。この瞬間だけ、ほっとできます。

昨日は、検問所でナイフをもったパレスチナの若者が逮捕されました。わたしたちは、じっとカメラを撮影していました。そこに兵隊さんが、どうだ、こいつはこんな武器をもっているんだぞ!とどなってきました。しかし、兵隊さんはもっとごついライフルをもっている。さらに、その横をイスラエルの若者がライフルを携帯して横切っている。ここでは、イスラエル人の武器の所有が認められています。かわいいナイフで逮捕。いかついライフルは合法。

なんとも支離滅裂です。

それから、このあたりの道路には、黄色い線が引いてあります。黄色い線の道路はイスラエル人しか車を走らせることができません。また、普通の道路もパレスチナ人とイスラエル人と分けられています。

もともと、長いこと住んでいたパレスチナの地元の人が、後から入ってきたイスラエル軍に追い出させられ、生活空間を分けられ、壁を引かれ、カメラや兵隊に毎日監視されています。

モスリムの人たち(パレスチナの人々)が怒るのも当然だと思いました。

かといって、私自身にとっては、イスラエル人は敵ではありません。イスラエル人の中にはパレスチナ人や私たち世界中の活動家たちと共に活動する人も多い。むしろパレスチナに集まった世界各国の活動家よりも活動しています。彼らは、自分の所属する(させられている)政府に真っ向から立ち向かっています。

イスラエル人の中にはパレスチナに対する占領の仕方に疑問を感じ、兵役を拒否する若者をいます。もしも兵役を拒否すると男子は刑務所へ送られます。女子は社会から冷たい目を浴びることになります。どちらも職がみつかりにくなります。

かつて、ドイツのナチスに大量殺戮を受けたユダヤ人、つまりはイスラエル人。それが今はここパレスチナで同じことをしている。人間というものは、こういうものなのか?

わたしにはわからない。

毎日、わたしは、こどもたちの安全に通学できるように見守る「緑のおばさん」ならぬ、
「黒いおっさん」であります。なぜなら、わたしは全身真っ黒い服を着た、どこの政府も支持しないアナキストだからです。

PS 毎日、パレスチナの子たちと空手や柔道や相撲をしている。たいしてできないのに、かなりできるふりをしている。それから、パレスチナや世界中の活動家のための家をつくっている。これがなかなか楽しい。今の活動の相棒は自称フランス・ラスタマン・フリーダムファイター。

写真 
左 パレスチナの若者からナイフをとりアピールする兵士
真ん中 武器を所有するイスラエル市民
右 イスラエル人のみしか運転できない道路の上のパレスチナの子ども    


パレスチナのチェックポイント反対デモへゆこう

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今日は、パレスチナに無数におかれたチェックポイント(検問)に反対するデモへいってきた。チェックポイントは空港のパスポートチェックと同様で、IDチェック、荷物検査などがイスラエル軍によって行われている。これがパレスチナの主要交通機関の間に無数(限度はあるけど)に置かれている。

 このチェックポイントの問題点は、無数におかれた検問を一日に何度も通らなくては目的地にたどり着かないことだ。
 時間帯によっては、1時間から2時間、検問所で待たされる。やっと通れるかと思うと回転式のゲートが開くと思いきや、わざと閉じたりと、地味な嫌がらせもある。
 またラッシュアワー時は、夕飯をつくらなくてはいけない女性たちが、時間に焦りぎゅうぎゅにおしあっている。男性たちからはイライラがつのり罵声があがる。待ちくたびれた幼い子どもが泣いている。年寄りがいつまでもぎゅうぎゅに挟まれている。時には、チェックポイントを閉じることもあり、みんな家に帰れないこともある。
 こうして、365日24時間体制でパレスチナ人はイスラエル軍に管理されている。

 そのチェックポイントに反対するデモは、若いパレスチナの学生、イスラエル・アナキスト、人間の盾のメンバー、世界中からの活動家によって行われた。平和的なデモなため、銃口を向けた兵士の数回の警告ですぐに解散せさざるおえなかった。

 パレスチナははっきりいって、刑務所の中と同じだ。塀に囲まれ、自由に動けない。行きたい場所にもいけず、帰る故郷にも帰れない。これが、毎日、毎日懲りることもなく続いている。

 帰りのチェックポイントで、イスラエル兵に質問してみた。兵が終わったら何するか?タイやインドへいって、イスラエル旅行者たちのようにマリファナでも吸うか? 
 すると彼は、苦笑いして、家族のために働くよといっていた。デモやパレスチナ人に対して厳しい彼らも、家族のためにはまったく違った顔をもっている。当然なことだろう。

 いつになれば、家族のために思う奴が他の家族のためを思う奴を思いやれるようになるのだろうか。わからない。

 明日から、人間の盾になるためのトレーニングを受けに行く。そして、イスラエル軍によってオリーブの収穫ができない農家の手伝いにいってきます。私にとってもよい収穫になるとよい。


写真左 銃口をデモ隊にむける兵士
真ん中 1時間以上、ぎゅうぎゅうのゲートで待たされる少女
右   パレスチナ人 毎日2時間も待たされて嫌気がさると語っていた。そのかれの腕には、なんと、スクウォッティングマークが!!

写真はMIXIにはっています。こっちは使い勝手がわるいですね。
いい写真がとれたので、ぜひMIXIの KITOU SEISHI
でみてください。


パレスチナの投石はイスラエル兵の頭上を越えてゆく

Category: 未分類  
 昨日、イスラエル兵の侵略に抵抗しつづけるビリン村の農民の闘いに参加してきた。しかし、なんとも情けないことに、わたしはデモ前夜に今激しく恋しているポーランド人の彼女と飲みすぎてデモに遅刻してしまった。

 このあたりが、リアルに生活がかかっている農民と、一時の「正義感」に駆られている自分との差かもしれない。しかし、このあたりはどうしよもない気がする。けど、それでいいのかという疑問も残る。

 そんな感情の中、催涙弾やゴム弾(鉄を硬いゴムでコーティングした弾)が飛び交い、サウンドボムが農民や活動家たちを威嚇しつづける。中には、兵士に殴られて流血している人もいる。
 でも、わたしはゴム弾や催涙弾がかすめる中、恋する彼女をのことばかり考えていた。

 一体、わたしの頭はどうなってるのだろうか?これでいいのか??


 パレスチナの若者たちはなんども、なんども、撃たれながらも当たりもしない石をイスラエル兵に投げつける。たまにイスラエル兵の足にこつりとぶつかる。兵士は気にもとめていない。それでも若者は石を投げ続ける。

 わたしにはこの石が、イスラエル兵の頭上を越え、ヨーロッパを越え、アメリカを越え、そして日本の渋谷あたりにいる同じ年頃のわたしたちの頭にいつかぶち当たるような気がする。
 わたしの場合は、さらに渋谷を経て、アジアを越え、もう一度パレスチナへ戻り、わたしの頭に何度も当たる。痛い。痛すぎる。


 恋も重要。闘争も必要。日常も重要。祭りも必要。二日酔いもたまらない。投石もたまらない。

 わたしには、わたしの生活があり、パレスチナの農民には農民の生活があるんだと思う。それでいいのだと思う。その上で互いの立場を越え、そして、連帯すること。これがパレスチナの壁を無くす行為のひとつかもしれない。
 
 ということで、思い切り恋をして、思い切り闘争したいと思う。
これから、また恋する彼女に会いに行こうと思う。


パレスチナ解放デモで催涙弾とゴム弾の嵐の会おう!

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今、パレスチナにいます。パレスチナには元々たくさんのパレスチナ人(アラブ人)が住んでいました。しかし、パレスチナ人は1948年からシオニストたち(イスラエル建国を目指す人々)によって住んでいる家、生活源の農場などを奪われ、現在にいたるまでたくさんの人々が殺されてきました。そして多くのパレスチナ人は難民として周辺国へ逃げてゆきました。

(今は時間がないので、後日ゆっくり文を書きたいとおもいます。)

 わたしはパレスチナのベリーンという農村の村へいってきました。元々、オリーブをとって生活していたところに、ある日、イスラエル軍がやってきて、オリーブ畑や家を踏み潰して土地を奪ってしまいました。

 そこで、ここの農民や地元民はイスラエル軍の行為を国際法に違反しているという理由から、裁判をおこしました。2年半以上に及ぶ裁判闘争の末、彼らは、勝訴しました。
 しかし、勝訴したにもかかわらず、今でもイスラエル軍は出てゆきません。
 そして、この村では毎週金曜日、イスラエル軍に出ていけというデモをしています。

 わたしはこのデモに参加してきました。デモは、パレスチナ人、それを支持するイスラエル人。また世界各地の人達がいました。

 平和的に非暴力で行進しているデモ隊に対して、イスラエル軍はすぐにたくさんの催涙弾を撃ってきます。催涙弾によって、呼吸は苦しくなり、目があかなくなってしまいます。催涙弾やゴム弾もかなり飛んでくるのでこれにあたる人もいます。また、威嚇するためにサウンドボムもたくさん使われます。たくさんの負傷者(軽度)もでます。それでも、デモ隊はめげずに進みます。

 これに対して、パレスチナ人は石をくるくるまわして投げて抵抗(インティファーダ)します。しかし全くあたりません。それでも、彼らはいつまでも抵抗をやめません。

なぜなら、彼らにはオリーブが命だからです。オリーブは生活源であり、重要な栄養源でもある。そして、デモ隊を催涙弾やゴム弾から守ってくれる。(最終的には囲まれて撃たれます、外国人に対してはめったに撃たない、だから、外国人がパレスチナ人の盾になる。)

パレスチナには、あちらこちらに壁があります。イスラエルはパレスチナ人を自由に動けなくしています。そして、至る所にゲートがあり、そこでかなりの時間の間、待たされたりする。日常生活のありとあらゆるところから管理してゆく。イライラさせ、無力化させてゆく。

わたしはたった数日だけでも嫌気がさしてしかたなかった。なんと居心地の悪いことか。それに引き換え、パレスチナの町は、本当にあたたかい。なにか日向ぼっこをしているような。街の人は本当に親切で私達を迎えてくれる。笑顔と礼を尽くしてくれる。

この正反対の状態に本当に鈍器で撃たれたような感覚を覚えました。
居心地の悪い壁やゲートがあるからこそ、居心地のよい村、コミュニティを作るのかもしれません。

わたしは、ここにいれる限り、できる限りのことをしたいと思います。また、来週もデモへゆきます。オリーブ狩りの手伝いもしようと思います。

また、パレスチナについて書きますので、是非よんでください。


香田くん

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香田くん

ヨルダンのアンマンにはかつて、イラクで殺された香田証生くんが泊まっていた宿がある。今から3年前この宿から、ひとりのバックパッカーが自力でイラクへ旅立った。

湾岸戦争時から現在に至るまでイラクはアメリカ軍に侵攻されている。この侵攻によって、アメリカ軍は数え切れない程のイラクの人々を殺してきた。また、日本政府はアメリカ軍の支援のために自衛隊をイラクへ派兵している。当然、これらの侵略軍に抵抗するゲリラ(アメリカはゲリラをテロリストと呼ぶ)がイラク国内にはたくさんいる。    
そんな中、三年前、香田くんはアメリカ軍の侵攻に抗していたゲリラに捕ってしまった。ゲリラは彼の解放の条件として自衛隊のイラク撤退を日本政府に要求した。

日本全土に香田くん人質のNEWSが流れた。しかし、日本政府はゲリラの要求を受けいれなかった。そして、彼は殺された。殺される以前はマスコミや世論は彼に同情的だった。しかし、殺された途端、政府をはじめマスコミや世論は手のひらを返し、勝手にイラクにいった彼が悪いと叩きだした。仕舞いには「自己責任」という言葉で彼の存在すべてを抹殺しようとした。

あの日からわたしは、どうしても彼の死が忘れられない。もちろん忘れていることもある、けどつねに胸のどこかにひっかかっている。
それはなぜか。彼がわたしと同じ年だからか?それとも同じ旅人であるからか?アメリカ軍をはじめあらゆる戦争に反対していたからか?彼に対する日本政府の対応にか?死んでしまった彼になおも侮蔑をはき続けたマスコミや世論にか?

おそらくすべてにひっかかっている。大半のマスコミは彼が「なぜ」イラクへ行ったのかなんて語らなかった。香田くんは一体、イラクでなにをしたかったのか?
KODAホテル(香田くんが泊まっていた宿の従業員、サメール氏が香田くんに追悼の意を込めつけた名)に置いてあるノートにその「なぜ」の答えが記されていた。

香田くんは戦争によって傷ついたイラクの子どもたちを助けたいと思った、テレビでは流されない現実を自分の目で見ようと思った。そして行動した。

ノートにはイラクへ行く前に香田くんがサメール氏に渡した写真が貼ってある。この写真にはアメリカ軍の爆撃によって傷ついたイラクの子どもたちが写っている(この写真は後日香田くんの家族がコピーしてサメール氏に送ったもの)。

わたしはアンマンの宿「KODA ホテル」に来るまでは、香田くんがイラクへなんのために行こうとしたか知らなかった。だから、わたしのようにそれらを知らない人のために、ここにそれを紹介したい(香田くんがなぜイラクへ行こうとしたかなど、一部の本や雑誌で言及されている)。

http://irregularrhythmasylum.blogspot.com/2007/11/blog-post_15.html
(ここにその文章がはってある。みてくり)

 どうしたって、私には香田くんの死が忘れられない。私は、KODAホテルに飾られた香田くんの遺影に炊き立ての飯とウォッカを供えた。そしてお経をあげて供養した。この遺影は香田くんの家族がサメール氏に渡したものだ。

しかし偽坊主だろうが高僧だろうがいくら供養したからってなにか変わるわけではない。変わるのは私の気持ちだけだ。私は、彼の遺志を勝手に引き継ぐだけだ。彼がしたかったイラクの子どもたちを助けたいという気持ちを。そして、彼が残していったイラクの爆撃で傷ついた子どもたちの写真、このような状況をこれ以上作らないための行動をすること。そして、彼の分も生きること。そう勝手に思う。

 このアンマンの宿には、なんだか旅中の香田くんがいるような気がしてしかたない。そして彼は彼と同じように世界を旅する私たちの背中のリュックを後押ししてくれるような気がする。錯覚かもしれないが、そう思う。



追記1 ヨルダンやシリアには多くのイラクの住む場所を奪われた難民が逃げてきている。私の話したイラク人の医師はアメリカ軍が多くの人々を殺してきたことについて話してくれた。悲しみか怒りのせいか言葉がつまり話が途中で中断してしまった。

そして、その晩、私と数人の日本人とイラク人とアメリカ人とオーストラリア人とドイツ人で、パレスチナ人がアメリカでタクシードライバーとして働くという映画「THE ZIGIZIGI LAND」を観にいった。映画自体はパレスチナ人のタクシードライバーが乗客とのやり取りを通して、アメリカ社会全体の病理をシニカルに鋭く切り開き、イスラエル政府によるパレスチナ人へのアパルトヘイト(隔離政策)を痛烈に批判している。

ひとつの映画を通してパレスチナ問題をイラク人、アメリカ人、日本人、オーストラリア人、ドイツ人、○○人という括り、国家や民族、立場を越えて、一個人として語り考えることは意義あることに思った。これは、映画や芸術が持つ力にも思う。

それに、厄介な立場を除いてしまえば、個人としてはみんな戦争に反対している。ここから、パレスチナ人隔離政策、イスラエルの侵略、米軍のイラク侵略、それを支援する日本政府をはじめ各国の政府のやり方を変えてゆく第一歩になると思う。あとは、日々の生活の中に実践として取り入れてゆければ、ゆっくりとでも、草の根はぶっとく地に根をはると思う。

追記2 レバノンのパレスチナ難民地区へいってきた。銃痕が残る下町を粋のいい子どもたちが走り回っていた。町はさまざまな店でにぎわい活気に溢れていた。町中にパレスチナの旗が揚げられ、そこいらじゅうにパレスチナ解放のポスターが貼ってあった。まだまだ、パレスチナへの帰還への道は終わっていない。世間が勝手に忘れても、彼らはアスファルトを突き抜ける雑草のように生きている。



 そこでわたしは一軒のパレスチナ解放グッツ屋にいってきた。さっそくTシャツやパレスチナストールなど数点購入しました。そのうち、IRAに届くと思うので興味のある方是非購入ください!!(届きました! -IRA)


プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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