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シコシコアナキスト日誌

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終身刑者からの願い

Category: 未分類  
バンクワン刑務所にいる、わたしの友人である終身刑者のHさんから手紙をうけとることができました。

長文の手紙なため要約したいと思います。また個人的な内容も省きます。『 』は手紙より抜粋、●は私が付けたし文。


①バンクワン刑務所側による面会禁止令について。

『(刑務所)面会を復活させるには今のところこれといった決め手はありません。囚人との関係の欄に「FRIEND」ではなく「COUSIN」とか「NEPHEW」とか書いて面会できればラッキーです。また、面会オフィスのまぁまぁ偉い看守がいい人で、面会に難癖つけられたら「俺の友達の日本人に会いに来たと俺の名前を出してもいいよ」と言っていたので、それも使えるかもしれません。
ちなみに看守の名前は「MR AMPORN」(アンポーン)又はニックネームで「MR JOY」(ニックネーム)。
もう何ヶ月も旅行者の面会が完全に止まってるですよね。

中でも外国人が署名運動をしたけど所長からは反応なし。他のビルからも外国人は手紙を出しているみたいですし、外の動きがあるみたいですが、まったく今のところ(面会は)ダメです。

外国の刑務所にいるのに家族以外の面会がダメなんていう人種差別的なポリシーはこのバンクワンだけで、この所長が初めてです。日用品から何から全て自分持ちなのに、外からのサポートをカットするなんてひどすぎます。』

②面会以外のサポートについて

『面会自体がまったくないので、やっぱりなんといっても本がありがたいのですが、本の差し入れもすっかり止まってしまいました。「郵送で…」とかいうとすごい大きなお願いになってしまいそうで申し訳ないのですが、どうでしょうか…やっぱり無理そうですよね…』

③仕送りについて

 ●バンクワン刑務所では、刑務所内の生活費は自己負担で行われています。刑務所内では労働があって給料があるというわけではなく、なにか自分で商売をするか、家族からわずかな仕送りをもらって生活しているようです。ごはんは一日一回、わずかな米とスープだけです。
 現在8人いる邦人滞在者のうち、3人が家族からの仕送りがないようです。3人のうち2人は病人のため働けません。

『サポートといえばバンクワン刑務所には仕送りがなくて大変な日本人が3人いるのです。Aさん、Kさん、Tさん(名前は伏せておきます)という3人ですが、サポートグループ(MIXIのコミュニティメンバー)の方々にこの人たちへの支援とかお願い可能でしょうか?
 生活費とか大げさじゃなくても、たまにでも少しお金があると本当に助かると思うんです。沢山あればいいにこしたことはありませんが、我々はそういう立場じゃないし、でも日本円で数百円あれば何日もご飯が食べれるんです。もしも可能ならということでお願いします。』

④刑務所の中の病人について

『日本人で具合の悪い人はTさんとKさんです(二人とも仕送りなし)。Tさんは喘息がひどくて薬をミッショナリーに時々助けてもらっていますが、お金がないし余りちゃんと治療ができません。
 Kさんは、腰から下が痺れて歩くのもヨタヨタで、神経がおかしいのか、足の血管がつまっているのかはっきり分からず、ここの病院じゃ全く検査できないし、ラジャオ刑務所というよい病院があるところに何度も送られて、たらい回しにされるだけで、大使館の口ぞえしてもダメです。
 
 ここはホントお金がないとまともに検査すらしてくれません。検査でもちょっとしたものなら数千バーツではきかず、数万円はとられると思います。ここでは病気になったらアウトです。実際死んだ友達も何人もいます。Yさんも喘息で入院して私も結核その他で入院しましたが、ひどい週で2~3人とか死にます。

 最近はエイズの人もタダで薬をもらえるし、政府の方針で薬はくれるようになったので少しはよくなりました。昔は、歩ける限りは入院なんてできなかったですもの。ぶっ倒れて死にそうな人のみ入院。ずいぶんよくなりました。

 ちなみにバンクワン刑務所には今4600人ぐらい(囚人の数)いて、昔は7000人近くいて、常勤の医者は一人です。でも、夕方になると帰るのでずーーといる医者はゼロ。ここでは、目の検査も歯の治療もありません。』

⑤日本人以外でのサポートを求める人について

『個人的に私のとても親しい2人のことをサポートサイトやビラで伝えてもらえると本当にうれしいです。ひとりは、ここでの一番の親友でビルマ人のKさんです。もうひとりは中国系マレーシア人のTさんで、この人は日本に昔4年ばかりいました。
 バンクワン以外でも可能であれば、バンコクにあるラジャオ刑務所にいる中国系マレー人のロタさんもいます。ラジャオ刑務所はバンクワンみたいに面会の制約がないんです。手紙でも面会でも可能だったときのためにロタさんの住所を記します。
 
LOW TUCK・
LARDYAO PRISON BUILDING8 33/2 NGAM WONGWAN ROAD
BANGHEN BANGKOK 10900 THAILAND です』

⑥陳述のお願い

●囚人移管協定や日本大使館から国王への嘆願が出されると、滞在者の方々は、釈放されるか、日本に移管され日本国の法律で裁かれることになります。そうなれば、一度の過ちを償うためにタイで死ぬまで刑に服す必要がなくなります。タイ国よりも日本への移管又は帰国はよりよい滞在者の将来が開かれると思います。

『英語がOKなら、皆さんに陳述の手紙を矯正局や内務省に書いて頂けるとありがたいです。日本大使館に陳述の手紙→刑務所にプレッシャーというのも一案ですが。6月の大使館面会の時に、面会拒否の不条理を訴えて刑務所側に言ってくれると話したのですが、今のところ反応なしです。』

『コミュニティサイトによる、日本政府、外務省への囚人移管協定への早期実現への陳述については、これ程ありがたいサポートはありません。

 もうひとつお願いできるならば、タイ国・国王への日本大使館からの嘆願提出への陳情もお願いしたいです。大使館が嘆願をサポートしている国の囚人は何人も短期で帰国実現した例がいくつもあります。が、これがないと、何年も結果を待たされて、しかもほとんど帰れる見込みがありません。協定も実現すればうれしいですが、国王嘆願が出るとすぐに釈放されます。できればよろしくお願いいたします。

 ちなみにイラン大使館は囚人のために領事が嘆願を提出した後、一年で2人帰国、釈放されました。私は提出後2年半で、スタートから動いていません。』(ちなみにHさんは10年以上滞在)

⑦私たち(囚人)をサポートしてくれる皆様へ

『こんなふつつか者の我々囚人にいろいろと御心使いを頂いてありがとうございます。』


●他にも、今後、滞在者のリアルタイム日記公開についてなど、互いの仏教観交換につていなど書いてありました。岸田秀ファンらしいです。

 今後のこちらの動きとしては、①の面会は現在厳しい状況なので、面会以外のサポートを実践してゆきたいと思います。

 ②の本の希望についてですが、余裕のある方はどんどん郵便で本や雑誌の郵便をしていただけると大変助かります。

 ③④の仕送り・病人への支援ですが、今、どこに振り込みしたら良いかなど確認中です。一時的な支援金を集めたいと思いますので、これまた余裕のある方は小額でもしていただけるとありがたいです。タイは日本に比べても物価が相当安いので、数百円でも相当な力となると思います。

 ⑤に関しては、やはり邦人以外も困ってる方はサポートしてゆきたいと思っています。現状況としては、外国人囚人サポート団体の方々と連携してゆきたいと思います。

 ⑥陳述・嘆願については、私には難しいので、弁護士団や支援団体に相談したいと思っています。現在は詳細を確認中などでこちらも追って実行してゆけたらと考えています。いずれにしても署名などもやっていけたら良いと考えています。そのときはご協力お願いしたします。

 その他、意見など、アドバイス、ご協力できる方がおりましたらメールか書き込みよろしくお願いします。協力者大歓迎でございます。


◎カンパできる方、お名前の横に、
「ケイムショシエン」とお入れください。

振込み先は、私の友人でありわたしのバンドが所属する自主レーベルの水口社長です。信用できる人間です。

おって報告もいたしますのでよろしくお願いいたします。

振込み先

三菱東京UFJ銀行
普通
たまプラーザ支店
1511783
水口プロダクション代表水口貴裕


◎刑務所へ本など手紙を送れる方は是非一度メールをいただけると助かります。送り相手の名前を教えさせていただきます。

住所
Bangkwang Central Prison.
117 Nonthaburi Road,
Nonthaburi Bangkok 11000, Thailand.

◎外国人囚人サポートサイト。必見です!
http://www.usp.com.au/fpss/prisoners-thailand.html
siloette04.jpg

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大学生になろう!

Category: 未分類  
もう一度、アルメニアで学生になることにしました。学校名は「魁男大学」。英語にすると「SAKIGAKE OTOKO UNIVERSITY」。学生証を作るとき、アルメニアの若い姉さんが「SAKIGAKE,,,OTOKO,,,」と読み上げるのを聞いて思わず噴出してしまいました。本物の学生証は5ドルでした。
 これで私も立派な学生です。セーターを肩に羽織ってクリアケースを持ってキャンパスライフを楽しみます。「大学当局によるーーー!」とかいうフレーズは使いません。


Sperms, the Loser of the Fertilization?

Category: 未分類  
海外で配る用のビラができました。翻訳は、精子敗北論を金田教授・その他を変態画家のノブユキ・フルヤ氏・最終的監修に元ヤクザで英検1級の塾長にお願いたしました。ご協力本当にありがとうございました。-

★二億一庵  Sperms, the Loser of the Fertilization? ★

When you view the moment of fertilization under a microscope, you see a few hundred million sperms swimming toward only the ovum, and the only one among the sperms can meet the ovum. This is the fertilized ovum and then it makes an membrane and blocks off any other sperms.

On the other hand, the sperms that weren’t able to reach the ovum gather at a few areas and get ready for a festival as if they are saying "Eejanaika(meaning ‘It's all right!’ in Japanese)" and start dancing crazy.
"All right! All right! Losing to meet the ovum? That’s OK!"

It seems they are having fun very much. Even though they couldn't reach the ovum, they start their party for Eejanaika.
I used to think these sperms doing Eejanaika were losers and their "Eejanaika" was their last frenzy by these losers.
But recently, I’ve come to think the real loser is the sperm that reached the ovum.

’Isn’t dancing "Eejanaika" is more fun than becoming a human being,? Maybe, they know how much they would have to suffer when become a human-being and that’s why they don’t want to reach an ovum…” This is the way I’ve come to think.

Maybe, the fertilized sperm was forced to reach the ovum getting it’s leg pulled by the others. The sperm may have been the weakest amongst all the sperms that don't want to suffer by becoming a human being. The weakest sperms met the ova and now they are us. That’s why, we get desperate for doing "Eejanaika". Just once would be enough so I am desperate for dancing “Eejanaika”.
*”Eejanaika” The movement of frantic festivals or fuss and feathers organized by the public in 1867-1868 (The Edo Period) to demonstrate or have their voices heard.
            
★What is 'Nioku-ichian'?
・The Origin of 'Nioku-ichian'
'Nioku-ichian' is the name of the community that has been organized on the earth in 2007. In Japanese, '二億(nioku)' is 2 hundred million implying the average number of a human sperm in an ejaculation, and '一庵(ichian)’is a simple, plain temple implying an ovum. We, 'Nioku-ichian', wish that each of us can nomadically move around like a sperm and communicate with various people in various ways in various places all over the world. As a sperm that couldn’t join the ‘Eejanaika’, why don’t you join us to organize our own ‘Eejanaika’ and express yourself to have real fun?

★Organizing ‘Eejanaika’
Based on the theory of loser sperms, we would like to express our own Eejanaika that we couldn’t experience in a various way. Namely we are the group of sperms expressing our Eejanaika freely.


         ★The First Project of Eejanaika★   
In our first project, we would like to establish the brand of Nioku-ichian and we’ve already made our original T-shirt. The motif of the T-shirt design is a stark naked body as a symbol of human freedom and a sense of no possession. We are planning to sell the T-shirt in Japan and all over the world to make the world better.
       
★A Use of The Proceeds★
The proceeds generated by the sales of the T-shirt will be donated to a free school-cum-orphanage, ‘Aozora-Gakko (Aozora means open in the air, Gakko means School)’ in India.
The Aozora- Gakko is in Buddagaya of India where the lord Buddha was spiritually awakened. In this school, there are 111 students and 11 orphans who cannot afford to go to public school due to sever poverty in the region.
Buddagaya is the poorest place in the state of Bihar in India and the literacy rate is said to be less than 40%. The Aozora school has’t got any support from the government or whatsoever . It is managed by the locals, travelers and volunteers.
That said, in summer season, the Aozora school is very hard to be managed due to lack of travelers especially because of the fierce heat that sometimes reaches 50℃ and also a long-period of monsoon. Therefore the school needs continuous help through a year.
We are planning to donate our proceeds to the school generated by the sales of our original T-shirts for starters and then come up with the ways for the school to be self-managed.

subsracting the original cost of making the T-shirt from the price of the T-shirt will be donated to the school for the children's school expenses, foods and rent expenses. We wish that our T-shirts can help many children so that they can eat, study and laugh!!
Many thanks for your time to read a long text!
Contact us: osasimi-ichiban@hotmail.co.jp kitou seishi+naoki shiga. Translator= kaneda-prof+furuya nobi.
Aozora school =nikesh_sinha2000@yahoo.com sujata village,bakrour,bodhgaya,gaya,bihar,India,pin824231


アルメニアの孤児院へゆこう

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アルメニアで本物の学生証を作ろうと思って国際学生証の事務所へいきました。でも、カードの在庫がないので来週来いと門前払いされました。

その事務所内で、アルメニアの孤児院でボランティアしているというリトアニアとエストニアの学生に会いました。彼らの紹介で私もさっそく孤児院へ遊びにゆくことにしました。

孤児院には、100人以上の子どもが住んでいました。小さい子から高校生ぐらいまで。高校生になると、髭の濃いせいかみんなおっさんに見えました。高校生ぐらいの女の子は粋のいいマグロのようでした。中には、身体障害をもった車イスの子や知的障害の子もいました。

で、やっぱりどこへいっても、なにか芸をやれといわれるのが鉄則で、例のごとく、なにかやれ!といわれました。

ちょうど、連れの旅友達が拳法をやっているので、彼に型をやらせました。彼は、コロコロとコンクリートの上転がりながら、奇声をあげました。馬鹿かと思いました。ついでにコラボで私も法華太鼓を叩きながら般若心経をデス声であげました。
どっからみても、日本のトラディショナルではない。けど、子どもたちは「THAT’S JAPNESE TRADITIONAL」と目を丸くしながら見ていました。私はその絵がおかしくて仕方ありませんでした。

おそらく、どこの国でも他国に対しての誤ったイメージというのがあるのでしょう。それに加担したわけですが。実に愉快でした。今後もこういった、私の中のトランディションを普及していこうと思います。 

その後は、柔道のオオゴシを教えたり、ひとつしか知らない合気道の技を教えたりしました。みんな大喜びで、全員がオオゴシをしはじめました。やっぱり、子どもたちはオオゴシだけ覚えて「THAT’S JYUDOU!」と得意な顔をしていた。教えた私もオオゴシだけで達人づらしていました。

さらに、孤児院の所長に「ZEN」「ZEN」「DAISETU SUZUKI」と言われれば、さも自分が禅マスターのようにふるまってみたりと。はったりもいい加減にしろという具合でした。

遊び足りない子どもたちに翌日も来いといわれたので行ってきました。みんなでゲームをやろうとネタを考えていったのですが、終止オオゴシで終わってしまいました。

本当に子どもたちは世界中どこへいっても元気でたくましい限りです。なんて当たり障りないことを書いて終わりにします。


追記;ヨーロッパの方々の中にはボランティアを4年間するのに百六十万円も払うとのことでした。なんという金額なんでしょうかね。そうった金で孤児院も維持されているのかもしれませんが。

写真は、「日本人」のまね。目がつりあがってるとのこと


8月15日ライブ報告

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8月15日のPUNKイベントは無事に終わりました。改めてTHE★CHARGEの皆さん、参加者の皆さん、販売してくれた水口プロダクション、Tシャツを作ってくれた新宿IRAの成田くん、映像編集してくれたトウショウさん、Tシャツを買ってくれた友人たち、本当にありがとうございました。

ライブではフルチンCMや子どもとの反戦対談も流してもらえたようです。ちらほら笑いも出たとのことで安心しました。本当に良かったです。また、ライブのMCでも宣伝してくれたとのことです。本当に感謝しております。

Tシャツも計5枚売れたとのことで、ありがとうございました!!

現在の水口プロダクションの在庫は、L×2、M×1、S×3、SS×3枚です。身体の小さい方、また、お子さん、買いなさい!!引き続き厚いご支援よろしくお願いいたします!


それと、校長NIKESH氏からの礼状(英語の未発達なわたしが少々手前勝手に訳しました。)

★★★★★★★★★★★★

青空学校サポートTシャツを購入してくれた日本の皆さんへ

Tシャツの売り上げ金を青空学校の援助に割り当ててくれることに心から感謝しています。あなた方の小さな助けによって子どもたちはよりよい教育と未来を得ることができます。私たちにとってあなた方のサポートは本当に本当に重要なことです。

あなた方の小さなサポートは、多くの問題に苦しむ子どもたち(ストリートチルドレン)やお金がないために学校に通えない子どもたちの人生を、より良い方向へ変えてゆくことができます。
私たちは、いつもあなた方の親切な暖かいサポートを必要としています。

最後になりますが、本当に本当にありがとうございました。
すべてに感謝します。そして、あなたの健康を願って。南無森羅万象。

敬具 

NIKESHより

★★★★★★★★★★★

写真はアルメニアの子どもたち


365日8月15日

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今日は八月十五日。日本では終戦記念日。しかし、この日や原爆の落ちた日だけ反戦や非戦といっても仕方ない。それはお役の人たちがすればよいことに感じます。

私にとっては、やはり365日が反戦で非戦なわけでありまして、今日もまた非戦の行動・生活をするだけであります。

今はアルメニアにいます。ここアルメニアもお隣の国、アゼルバイジャンと無数の殺し合いをしてきたようです。それは中央アジアにしかり、インド・パキスタンにしかり、カンボジアにしかり、ビルマ・タイにしかり、、、日本・中国・韓国にしかり、世界中どこもしかりだらけであります。

どこの国も個人で付き合えば分り合えることが多い。しかし、ひとたび国籍や国家をまとうとすぐに敵視する癖が強いように思います。

たとえば、邦人の旅行者の中に「中国人」を嫌う人にまま合います。その人に「中国へいってよくされなかったの?」と聞くと、「よくされた。」と答えます。では、「なんで中国人が嫌いなの?」とさらに聞くと、はっきりと答えられない。
 優しくしてくれた「中国人」もいる、その人は好き。でも、「中国人」は嫌いという。じゃあ、どこからどこまでが「中国人」だというのか?
 答えは、誰にも●●人とか●●国とか厳密にはっきりと答えられる人がいるわけがないと思います。

それは、●●人や●●国が実際に「ある」ものではなく、想像上、人の頭の中が作った勝手な識別に過ぎないからだと思います。

たとえば、私がグルジアを歩いていると、「中国人」といって馬鹿にしてくる人が少しいます。わたしが日本から来たといってもいなくても、彼らにとっては、見た目が東洋人だから「中国人」でいいわけだと思います。それは、彼らなりの識別であって、多くの「日本人」が思っている「中国人」と「日本人」の識別となんら変わりはない。現に、多くの「日本人」が考える「中国人」の中には、無数の少数民族がいます。彼らは自分たちのことを「中国人」だとは思っていない。私のあった中国国内にいる漢民族以外の人々、ウイグル地区の人なら、ウイグル人だといい、内モンゴル地区ならモンゴル人、チベット自治区ならチベタンだと自分を語る人が多かったです。

ここで、多くの「日本人」が括る「中国人」と、「日本人」も「中国人」と括るグルジアの人々と大した差がないことがわかると思います。

いかにこの●●人という括りが実際に存在するものではなく、想像上の産物に過ぎないことがわかる気がします。この●●人という括りは時に、大きな争いを生む理由になると思います。日本に生まれたのに「在日」だという括りだけで、差別や暴力を受ける人もたくさんいます。「在日」という括りをとれば、そこにあるのは、ちんこかまんこか。さらに、ちんこかまんこをはげば、精子か卵子か、その先は、骨に過ぎない。はっきりいえば男も女もその括りに過ぎない。

ここで、まず●●人は幻想に過ぎないと受け入れた上で、個人と個人、精子・卵子レベルでつきあってゆく努力が必要だとおもいます。これはとても難しいことだと思います。●●人と括ると楽です。そして、安心して自分をなにかに委ねられます。それは悪いことじゃないと思いますが、時として、危ない気がします。自分で自分をコントロールができなくなる。これが戦争する大きな理由になっていると思います。

わたしは、毎日のように「どこから来た?」「日本から」と答えています。本来ならば「どこからきた?」「お袋の袋と親父の袋から」というのが良いでしょう。これが、わたしにとっての非戦の姿勢かもしません。


最後に

私のいるコーカサス地区は中国人並びに東洋人蔑視が激しいと聞いています(言うほど実感はしません)。でも、それよりもはるかに日本での、売春婦としてお出でになられたフィリピン女性や東南アジアの女性、かつての偽造テレカでお世話になったイラン人男性、原宿で黒人服をお売りなるアフリカの男性たち、中国人留学生や在日韓国人への蔑視の方がはるかに陰湿で隠見な気がします。まずは、身近なところから、自分を変えてゆきたいと思います。

PS、この言葉ずかいもそもそも嘘くさい。どうでもいいが、隣のネット席で、カップルがチンコの上にまたがったり、ちゅっちゅしたりしている。これこそ、殺したくなる。一番大事なのはこの感情を実際に表現しないことが、よいのかもしれない。
というより、俺が間に入って3Pでもすればもっとピースかもしれない。Gを突付いてVサイン。


リアルうるるん滞在奇

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ウズベキスタンの肉汁家族での民泊は、中央アジアの北朝鮮ことトルクメニスタン・ビザをとるためだった。

ちなみにこのトルクメニスタンの大統領、ニヤゾフは最近死んだ。ニヤゾフは個人崇拝を徹底するなど、金正日ぶりのプロパカンダ好きだったらしい。町にはいたるところにニヤゾフ像や肖像画が建っているらしい。中には回転ニヤゾフも見れるとのことだった。

しかし、結局20日近くビザ待ちしたが取れなかった。トルクメニ行けなくなり身動きができないので、仕方なく飛行機でアゼルバイジャンにとんだ。

アゼルバイジャンの首都・バクーは一泊、蛸部屋1500円と高い(ちなみにウズベキが二食付800円)。今、アゼルバイジャンは石油によるバブルらしい。物価もかなりあがっている。物価の高いバクーをとっとと出て、シェキという田舎町へ移った。

宿を探すとどこも高い(1000円ぐらい)。さらに満室。どうしょもなく途方にくれていると酔っ払いのおっさんの集団に声をかけられた。そのうちの酷く酒臭いおっさんが、いい宿があるから着いて来いという。とりあえず、ついていった。どうみても宿なんかない丘に連れてかれた。すると、そこにはボロボロの腐りかかった木造とトタンの家が現れた。中には、ヨボヨボのばあさん(68歳)が出てきた。どうやら、ここは酔っ払いとヨボヨボばあさん(おっさんの母親)の家らしい。

 なんと親切な男だろうと思っている矢先、外のベットを指差して一泊800円だという。その辺の宿と変わらない上に外かよと、200円にしてくれと頼んだら、一泊400円になった。外のベットもよして、おっさんの部屋と代わってもらった。金を払った途端、おっさんは飲み屋にいってしまった。

 金を節約して菓子パンを食っていると、ヨボヨボのばあさんがトマトとパンを出してくれた。ありがたかった。
 少し立つと、おっさんがさらに酔っ払って帰ってきた。片手にワインを持っている。このワインはおそらくさっき払った宿代で買ってきたようだ。
 すると、ばあさんがさっそく嘆き始めた。「穴だらけの腐りかかった床の板を張り替える金にしろ!」といってるようだった。おっさんはそんなばあさんを怒鳴り、ねじ伏せた。ばあさんは悲しさに背を丸めていた。

 おっさんは私にグラスを出して「飲め!」といってきた。私はこの気まずい状況で酒は飲みたくなかった。さらに、おっさんがこれ以上泥酔しても困るだけだった。だから、私は頑なに断った。
 しかし、子どもの頃から酷い酔っ払いの父親の介抱したり、酒に付き合ってきた私は、そんなおっさんが、自分の父親にだぶった。それ以上に、父親と同類で私もひどい酒飲みだ。かつて酔っ払って、国鉄と国道を止めたことがある。前の別れた彼女には別れ際、「あんた、絶対、酒で失敗するよ…涙」。(絶対ってなんだよ。畜生! 男、そこで酒を仰ぐ)

 そんな私だから、注がれた酒を拒む理由もない。泣きそうなばあさんを横目に私は、ぐっと酒を呑んだ。うまい、うまかった。コーカサスのワインはどっぷりとうまかった。
 おっさんは疲れたばあさんに飯を作らせた。わたしにも出してくれた。(ちなみにこの家の飯はパンとトマトか、魚肉ソーセージみたいなのか、折ったパスタスープか、これがトータルで10回近く出た。この家のエンゲルケースの大半は酒代が占めているようだった。)

 そんなばあさんは、優しく私に「あなたはモスリムでしょ、お酒なんか呑まないで早く寝なさい」といってくれた。(私は毎日お経をあげている。イスラム圏でそれをやると、コーランかアザーン(礼拝の始まる合図)だと思われる。どんなに、これはブッタだ、といっても通じない。まぁ、自分でも最終的にはコーランも、聖書も、般若心経も変わらないと思っている。全ては無に帰るだろうし、本も教本もボロボロになってなくなるだろうし、礼拝する人もお経をあげる人も死ぬ。無常なところは全く同じ。)(それとおっさんは、アザーンがなるときだけ、酒が入ったコップを置いて「アッラーは偉大なり」という。非常に楽なイスラム教徒だ。厳格なイスラム教徒は酒を呑まない。)

 その晩はおっさんより先に寝た。おっさんは一人、テレビの大音量なボリュームを酒のつまみに呑んでいた。

 翌日、おっさんが仕事に行ったのを見計らって起きた。起きるとばあさんが朝飯を出してくれた。トマトと卵を少量出してくれた。その好意に自分の年老いたばあさんを思い出した。なんだか自分のばあさんが恋しくなった。
 その日は、地元の子どもたちと遊んだ。山に連れて行ってもらった。いろいろの木の実を食わせてくれた。中には食いたくないのもあったから、食ってるフリをして捨てた。子どもたちのビタミンC源は遊びの延長から採られたいるようだった。

 日が暮れたので帰ると、おっさんが泥酔していた。「お前は朝飯と夜飯を食ってるから500円払え」といわれた。確かにそのとおりだと思って払った。すると、案の定、その金をもって千鳥足で飲み屋へ出かけていった。
 おっさんがいなくなると、ばあさんは私の前に座った。目を真っ赤にさせ、ボロ布で涙を拭っていた。そして、何をいっているかわからないが、「こんなのムハンマド(イスラムの預言者)が許さないわよ」みたいなことを言っているようだった。
私もとりあえず、うなずいて、「アッラーアフバル(アッラーは偉大なり)」と顔をぬぐった(顔を拭うのはイスラム教徒の合掌)。
 
 数十分後、おっさんは新たなウォッカを持って帰ってきた。そして、泣いてるばあさんに酒と飯の準備をさせた。私は腹がたった。しかし、この酒代の資金源を渡しているのは私でもある。私は明日、この家を出ようと決めた。

 おっさんは常に私を自分の横に置きたがった。そして一緒に酒を呑もうとした。横にいる泣いてるばあさんがいるから、頑なに断った。しかし、あまりのしつこさと、自分自身の酒への欲求から、じゃぁ、一杯だけと、手を出してしまった。やっぱり、自分もこのおっさんと同じ穴のムジナ。泣いているばあさんを横目に、ぐっと一気にウォッカを流し込んだ。うまい、うまかった。コーカサスのウォッカはずっしりとうまかった。
 
 酔いが増したおっさんは、「俺たちは兄弟だ」というフレーズを壊れたレコードのように念仏をあげはじめた。しまいには、おっさんは剃刀の刃を持ち出してきた。そして、腕を切って互いの血を飲み合おうと言い出した(日本でも昔のヤクザや右翼がやっていたが世界共通らしい)。
 俺はおっさんの血なんか飲みたかぁないし、病気でももらっちゃあ、かなわない。腕を切ろうとするおっさんの手を本気で押さえて剃刀を奪った。もしかするとおっさんのパフォーマンスかもしれなかった。どっちしてもそんなつまらない冗談は流したかった。
 なんとか五月蝿いおっさんを静めた。そのかわり、おっさんは何べんも熱い抱擁をしてきた。そのたびに首筋に音を立ててキスをしてきた。いくらセックスしてないオナニーな私でも、それには欲情しなかった。ちくちく当たるおっさんの無精髭にサブイボがたった。

 おっさんは、嫁に逃げられたのか独り者だ。ゲイにも見えない。そんなおっさんにも本人いわく女がいるらしく(絶対いない)女に電話するといって、どこかへ消えていった。
 するとばあさんが来て、ウォッカを飲んだ私を少し軽蔑的に見ながら「モスリムでしょ、早く寝なさい」と部屋へ連れて行ってくれた。おっさんがすぐに帰ってきた、でも、寝たふりをしているわたしを見て、一緒に飲むのを諦めた。
 
 今晩もまた、ゆっくりと星が浮かぶ静かな村にテレビの大音量とおっさんの怒鳴り声が響いていた。

 翌朝、この家をこのまま出てゆくことになんだか気がひけた。何か少しでもばあさんを喜ばせたいと思った。早速、朝っぱらから3人で仲良く写真を撮った。できたら、ばあさんに写真をあげようと思った(いつも世話になった人には写真を撮ってあげてる。すると非常に非常に喜ばれる)。

 その日は、予てからおっさんが自分の仕事場に来いというのでバザール(市場)へ出かけた。おっさんは小さな小屋で靴の修理をやっていた。アゼルバイジャンは旧ソ連のひとつ。1991年に独立。その後もアルメニアとの戦争が続いていた。おっさんも共産党の軍人だったようだ。だからか、靴職人としての経験が少ないのか非常に腕が悪かった。私は、靴の修理職人に興味があったので世界各地で見ている。その中でも一番下手糞だった。
 おっさんはわたしの壊れた靴も直すといいだした。せっかくだけど断りたかったが、職人の意地みたいな顔するから、お願いした。(靴は外部は相当長持ちする。だいたいは靴底が減って、そこから各所に穴が開いたりする。その靴底を早いうちに足してやれば、相当長いこと履ける。なんでも新しい物を買わせようとする企業にもいい対抗手段だと思っている。)

 おっさんは私の剥がれかけた靴底を、ゴムのボンドでくっつけてくれた。そこまではどこでも同じでよかった。その後、頼んでもないのに靴底に釘を打ち始めた。釘を打つと靴底はしっかりとくっついて良いのだが、靴に穴が開く。それだけは嫌でずっと避けてきたのに、おっさんはあっさりと釘を打ってくれた。しかし、おっさんのもてなしだと思って、我慢した。
にしても、本当に下手糞だった。
 とりたくもない仕事姿のおっさんの写真などをとって、現像をしにいった。

 それから、ばあさんが砂糖とお茶を買うお金がないとおっさんにいっていていたので、お土産に砂糖1キロとお茶、それから、おっさんが「みんなでハミウリ(メロンみたいな)を食べよう、俺が買ってくる」といっていたが、一向に買ってこないハミウリを買って帰ることにした。いったい、どっちが客だかわかりはしない。

 早く帰ったが、誰もいなかった。ばあさんが腹が減ったら戸棚にあるもん食べなさいといっていた。腹が減ったので戸棚を開けてみると、中にはトマトがひとつだけだった。石油によるバブルの恩恵を受けるのは、限られた人たちだけのようだった。仕方なく、トマトは辞退した。

 ようやくばあさんが帰ってきた。その後、ウォッカを片手に酔っ払ったおっさんも帰ってきた。二人に現像した写真を渡し、ばあさんにお土産を渡した。すると、二人は泣きながら喜んだ。「お前は本当の家族だ、ここに住め!」といってくれた。そしてばあさんに何度も撫でられ、キスされた。(そんなにしなくてもいいのに。老婆のキス。)
 まるでうるるん滞在記の一場面のような、しかし、次の瞬間、おっさんは、千鳥足で、「よし、のみに行くぞ!」、ばあさん、それを止めて、嘆く。うるさいと、怒鳴る、おっさん。
おっさんに連れられ出てゆく私。外へ出た途端、おっさん「金、金、」。おっさんのさっきまで潤んでいた目は、どよんだ黄疸の目に変わっていた。(黄疸はアル中や肝硬変によっておこる症状)

そうだ、これが本当の「うるるん」なんだと気がついた。それに、毎日、ばあさん、泣いてるし、これも本当の「うるるん」なのだ。現実はやらせより奇なり。たまにテレビ「うるるん滞在記」を目論む旅行者に合うがくれぐれも、レイプに強盗、僕ドザエモン、なんて具合にならないことを願うしだいだ。

 飲み屋で地元の人たちとみんなで飲んでいると、どうやら、おっさんはみんなに馬鹿にされているようだった。仕舞には店のガキにも馬鹿にされていた。なんだか、おっさんがあわれになってきた。
 店を出る際、金がないからお前が払えといいだした。さっき払った金あるでしょ?いうと、地元民を見方につけて、みんなからお前(私)が払えといいだしてきた。さらに、お前は彼に借金があるだろ?と意味のわからないことをいわれはじめた。
ひさしぶりに頭に来た私は、スタンディングオベーションして怒鳴りちらした。おっさんにも、汚い言葉で罵った。みんなジョッキで殴ってやろうと思った。
 あまりに怒った私をみて、地元民は、どうやらおっさんが嘘をついてると思い、おっさんを攻めはじめた。すると、おっさんは慌てて金を隠した。さらに、地元民から子どもにまで攻められた。なんだかまたおっさんが哀れになった。
 おっさんを怒鳴りつけた上に地元民にまで攻められるという、おっさんの面汚しをしてしまったと後悔した。宿もなく困っていたときに、泊めてくれ、飯をくれ、靴の修理をしてくれ、家族だっていってくれたおっさん。悪いことしたなぁ思って、金を払った(おっさんが地元民にもおごっていた分も!)。ふと、おっさんを見るとおっさんは、黄疸の目でじっと私を睨んでいた。

 私は泥酔したおっさんを家に連れて帰ろうとした。おっさんはまたウォッカを買おうとした。店の人にもあしらわれていた。さらに近所の人間からは白い目で見られ、親戚からは口もきいてもらえていなかった。そんなおっさんは近所の犬と自分の猫には強かった。おっさんが、飲みつづける理由がここにもあるような気がした。

 帰るとおっさんは、怒鳴り始めた。私に面汚しされた事に腹を立ててるようだった。ガンガンコブシを壁に打ちはじめ、上半身裸になって、筋肉を強調しようとしている。しかし、50過ぎた栄養不足の身体からは、なにも脅威は感じられなかった。どこにも当てる場所のないおっさんは、ばあさんに嫌ってほど当たっていた。ばあさんは泣いていた。

 私は酒というものが恐ろしいものに思えた。昼間、職場ではやさしかったおっさん。しかし、呑みすぎると、この始末。
 当たり前なことだけど、酒が問題なんじゃない、やっぱり人間が問題なんだと思った。そして、果てしなく、難しい問題だと思った。だって、こんな状況をみてもやっぱり酒が呑みたいと思う自分がいる。やめれませんよ。酒は。

 その翌朝は、おっさんは朝からウォッカを飲んでいた。そして怒っていた。おっさんに今日出ると告げた。おっさんは私にも酒をついできた。まずい酒だった。

 おっさんは千鳥足で仕事場へいった。もし私が、この家に一ヶ月でもいたらきっとおっさんは仕事にも行かず一日中、酒を呑んでいたかもしれない。

 ばあさんは、赤い目を拭いながら何度も私を撫でてくれた。私はいつものように、お経をあげた。終わると、ばあさんが「ありがとう」といってくれた。そして、申し訳なさそうに、「お金、、、お金、、、」といっていた。わたしは、500円渡してばあさんと抱き合ってこの家を後にした。

 結局、その辺の宿に泊まる以上に金を使った。また、それ以上に気も使った。ただただ、今は、この家族の幸福を願うだけです。なんて。

追記 今は、アルメニアにいる。ここも民泊だ。(民泊は、人の家の一室に泊めてもらうことを指す。)朝から晩まで、赤ん坊が泣いている。さらにそれに釣られて幼子が泣く。それに怒鳴る母親。もっと泣く子ども。さらに手が出る母親。最高潮に泣くこども。
あっ、また、叩いた。もっと、泣いてる。あぁ、怒鳴った。しかし、うるさいなぁ、、、。

また、グルジアの民泊は息子が反抗期で一日中ネットゲームしている。叱れない父親、ヒステリックを起こす母親、それに便乗する祖母。家は息子の友人の溜まり場と化し、仕事のない家族の唯一の収入源である旅人たちの寝床でもある。

世界はどこへいっても同じなのかもしれない。ヒステリックで神経症な二日酔いのような世界。この世界から私はどこへも逃げることができないし、また、この人間の表裏が無償に愛しく感じる(時もある程度)。にしても、胃がいたい。南無森羅万象。今日も一日、ありがとうございます。


プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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