World advance 

シコシコアナキスト日誌

スポンサーサイト

Category: スポンサー広告  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


じぶんの寺をつくろう

Category: 未分類  



先月、インドはデリーの寺づくり(ストゥーパ作り)に泊り込みで参加してきた。日中の気温は36度とか37度まで上った。馬鹿みたいな暑さの中、地味なドカタ作業をしてきた。けど、なんでも自分で作るのは楽しい。

 ということで、パキスタンはフンザの近くにある山に登って、山頂に寺を作ることに決めた。聞いてところによると、フンザ(風の谷のナウシカのモデル地)で邦人女性が軍人に殺されたという。他にも、登山家が谷に落ちて死んだとも聞いた。それならと、勝手に彼らの霊魂も鎮魂することに決めた。

 山は、誰も登らない山だった。だから、道がなかった。連れの男は、山の山頂にあるという剣を探していた。さらに自分で作った剣を奉納しようとしていた。彼の案内で、山を登った。道がないから、必要以上に疲れた。4時間ぐらいで山頂までついた。すると、彼の探していた剣が山頂に刺さっていた。
 
 山についてから、さっそく、寺作りにかかった。石を積んで卒塔婆と剣を埋めた。こ1時間ぐらいで完成した。

 ちなみに寺の名前は、「御母山二億一庵」。だいたい、○○山、○○寺とつくのが相場なため語呂の良いオッカサンにした。二億は平均した精子の数。一は卵子の数。寺名は自称映画監督につけてもらった。

 さっそく、この地で死んだ旅人と完成した寺にお経をあげた。最後に歓喜の儀式を行った。というより、フルチンになって、ジャイナ教徒になってみた。ジャイナ教徒は、一切の所有を捨てるために服をも捨てフルチンで修行する。彼と二人で山頂でフルチンの儀式をおこなった。しかし、お互い、最後までマネーベルト(旅行者の貴重品腰巻)を外すのを忘れていた。結局、すべてを手放すことなどできるわけもなかった。さらにお互い、仮性包茎なうえ、短小ときたもんだから、互いに股間を隠しあったりしていた。皮は余ってるが、まだまだ修行が足りない。

 追記、毎日朝晩のお勤めをしている。最近はどこでもやる。ということで、じぶんのいるところが「二億一庵」という寺になる。移動式の寺だ。たまに欧米の旅行者が珍しがって参加してる。

写真は 左が儀式。真ん中が「和尚ジャンプ」。左が祭壇。
スポンサーサイト


亀頭精子絵本

Category: 未分類  
 受精の瞬間を顕微鏡でのぞいてみます。ひとつの卵子に向って数億の精子たちが走ってゆきます。ひとつの精子だけがひとつの卵子にくっつきます。これが受精卵です。そして、膜をはります。ほかの精子たちは卵子の中に入れません。

 卵子の中に入れなかった精子たちは数箇所に集まります。そしてなにか、もぞもぞとお祭りの準備を始めます。みんながあつまると、精子たちは「ええじゃないか」(狂乱する祭り)をはじめます。そして、勢いよく踊りだします。

精子たちは、踊り、叫んでいます。

「ええじゃないか、ええじゃないか、卵子とくっつかなくても、ええじゃないかー!」

その姿は、なにかとても楽しそうです。彼らは、卵子にたどり着けませんでしたが、最後の「ええじゃないか」をします。

わたしは今まで、「ええじゃないか」をしている精子を負け組みだと考えていました。負け組みの最後の狂乱だと思っていました。

でも最近では、むしろ、卵子にたどりついた精子こそ、ビリ、カスだったんじゃないかと思うようになりました。
 
 精子たちにとって卵子にたどりついて人間になるより、たった一回の「ええじゃないか」の方が楽しいのではないか。精子たちは、人間に生まれてくる苦しみを知っているのではないだろうか。だから、受精したくないんじゃないか。そう思うようになりました。

卵子にたどり着いた精子は、みんなに担がれて卵子とくっつかされたのかもしれません。人間になって苦しみたくない精子たちの中で、一番弱かったのかもしれません。その精子が卵子とくっついた。

そして、生まれてきたのが、わたしたち。


だから、どうしても、わたしたちは「ええじゃないか」がしたくてたまらない。一回でいい、死ぬ気の「ええじゃないか」がしたい。そんな風にわたしは思います。


(こどもに読み聞かせたい絵本特選、受精賞作品より)

画像はMIXIに載せています。これには載りません。
「KITOU SEISHI」です。よろしくどうぞ。


宗教はおもしろい

Category: 未分類  
 宗教はおもしろい。ここで最近体感したあまりメジャーじゃない宗教を簡単にあげます。あまり詳しくは知りません。そのうえ調べてないの適当です。

 ジャイナ教。教祖のマハビーラはブッタと同時期に活動していたらしい。仏教と発想がすごく似ている。徹底した非暴力で、虫をも殺さないために口にマスクしている坊さんもいる。土に埋まってる野菜(にんじんや大根など)は食べない。野菜についた虫を殺さないためらしい。
 
 ジャイナ教の中には空衣派というのもいるらしく、一切の所有を持たない意味を込めてフルチンで修行に励む。俺の勝手な推測だが、ブッタに負けたくなかったマハビーラは、パンツをも脱ぎ捨ててフルチンで村を説法したんじゃないかと思っている。もしそうなら、フルチンのマハビーラはすごい。
 上野のアメ横あたりで下半身だけフルチンのおっちゃんを見る。彼らもなんか説法でもしたらマハビーラになれる。一切の所有をしてない乞食も坊さんも同じ。
 
 だが、さらにマハビーラがすごいのは自分の足を切って、そこからしたたる血を動物たちに舐めさせている。こんな変態慈悲プレイはなかなかできない。この時点で、別の意味でブッタを越えている。
 パンツを脱ぎ捨てた二大スターといえば、勝新かマハビーラかだといわれている。


 シーク教。16世紀にインドで始まった。宗教改革者のカビールとイスラム神秘主義スーフィズムから影響をうけている。カビールはイスラム教とヒンドゥー教に影響をうけ、カースト制(階級制度)を否定している。と本で読んだ。

 このシーク教の総本山がアムリトサルにある。アムリトサルにあるゴールデンテンプルがシーク教の聖地。この寺には巡礼者のために無料の宿がある。だから貧乏人でも宿には困らない。また外国人用にも無料(ドネーション)の部屋がある。さらに飯が何べんでもただで食える。この規模がすごい。でかい建物にだいたい一列50人の列が15レーンぐらいあって、それが二階にもある。そこへひっきりなしに、巡礼者や金のなさそうな人が365日、昼夜、休むことなく入れ替わり立ち替わり飯を食いにくる。何万人(?)って人が来るらしい。
 
 また、この飯を作る人、片付ける人、盛る人などもすべてボランティアで、相当な人数が働いている。
 ホント、こんな馬鹿でかい規模の炊き出しをしている団体が世界に他にあるとは思えない。それぐらい馬鹿でかい炊き出し教団だといえる。世界中の炊き出しを求める人々よ、アムリトサルへ自力で集え!


 イスラム神秘主義・スーフィズム。イスラム教の神秘主義哲学らしい。スーフィズムでは禁欲的で厳しい修行を行う。とにかく一心不乱に回る。回旋舞踊を行い、神との一体化を求めるようだ。

 「スーフィーは導師の指導の下、決められた修行(マカーマート)を段階的にこなし、準備を進める。最終段階では、雑念を捨て去り一心に神の事をのみ考え、神と合一したという悟りが訪れるのを待つ。この境地に至ったものは、時として聖者に認められ崇拝の対象となった。」
 よくわからないが、仏教でいう密教だと思える。大衆向けというよりも秘密の教えといった感がする。さらに、神との一体という点も、仏と一体となる密教と同じ発想な気がする。

 ということで、さっそくスーフィズムの儀式にいってみた。寺の真ん中に太鼓を叩く大男がいた。さらにそれをとりまく観客(?)。みんな大麻を吸ってきまっている。太鼓が激しくなるにつれ、皆首を横に激しく振る。さらに、スーフィーの踊り子が来る。どいつも胃に穴が開きそうな脂っこいキャラばかり。そんな踊り子が宙を飛びはね、首を激しく降り始める。さらにくるくるまわる。太鼓をもった男もまわる。観客もまわる。吸って、吐いて、吸って、吐いて、まわって、まわって、また、まわる。人もまわる。神さんもまわる。地球もまわる。ってな具合だ。
 きっと、彼らは神と一体化していたのだろう。うらやましい限り。神と一緒に回りたいなら、ぜひ、パキスタンのラホールへ。きっともっと奥の奥に連れて行ってもらえることでしょう。

 そのほかにも、ヒンドゥーのサドゥーもすごい。チンコの包皮を伸ばしてそこに刃物を巻きつけたり。電撃ネットワーク顔まけの芸当をみんなもっている。その辺はメジャーどころということで今日はこの辺でやめときます。

 今は、パキスタンのラホールにいる。毎日、35度とか半端ない暑さ。だから何もする気がしません。だから、なにもしません。人畜無害でございます。


インドでごみになる

Category: 未分類  
 ビザが切れるためインドを離れた。半年近くいた。タイの寺で坊さんに、インドへゆくな。ゆくと社会のゴミになる。という忠告をありがたく頂戴したが、インドへきて、いよいよ、ゴミに近づけた気がする。地理的な距離もあるけど、ますます、日本社会との距離が離れた。まったくもって生産性がなくなった。生産性がなくなったが、思考はやたらと楽観的で前向きで妙に明るい。

 最近、日本の未来があくるくて仕方がないような気がして仕方がない。なぜなら、インドで会う日本人旅人は、みんな生産性(資本主義社会においての)が欠けていて、やれ、スローライフだ。やれ、自給自足だ。やれ、農業だ。やれ、仏教だ。やれ、霊魂だ。という人がほとんどだったからだ。
 それに内側(こころやら魂)を研究してる人がやたらと多かった。例えば、頭にピラミットやヘッドギヤを乗せていそうな人。宇宙と交信していそうな人。伊豆半島のオカルトスポットのような人。日本だとあー痛いなとしか思わなかったが、ここにきてフラットに話ができた。
 彼らから学ぶことはたくさんある。話したことはたくさんあるが長くなるからはしょる。その結果思ったのは、日本社会はもっと宇宙やら、体内に潜む宇宙やら輪廻やら霊魂やらを研究してもいいかもしれない。それに自然崇拝も大切なんじゃないかと思った。
 
 人間が自然や霊魂を恐れなくなったことで、やたらと自然を伐採して経済を伸ばしてきた。もしも、もっと自然を敬って恐れていたら、そこまで環境をぶち壊さないはずだ。
 ネイティブ・アメリカンは、恐れて近づかなかった山があった。じつはそこに原爆の原料になるウランがあったという。そのウランによって広島や長崎に原爆が落とされた。それに、核は未だに地球の脅威になっている。
 んな話もあることだから、やっぱり自然への畏怖の念は必要だと思う。自然には霊が住んでいるんだ。山には木霊がいるんだ。と思って大切にする方がよいんじゃないでしょうか。せんせい。

 日本の神道はそもそも、あらゆる自然の中に神さんがいるっていう発想だと思う。その発想は自然を大切にするためにも有効だと思う。
 その神道を政治的(天皇制維持のための道具)に利用するから問題がおこるわけで、生活の知恵として神道を生かせばいいじゃないかと思う。

 てなことを、ピラミッドやヘッドギヤを乗せていそうな人たちと語って、あらためて思った。
 社会の受け入れがしっかりしていれば、ピラミッドやヘッドギヤを乗せた人たちは危険ではない。むしろ平和の使者だ!とまではいわんが、合理的な社会を生きる人々が忘れてしまった考えを多大にもっている。
 
 そんなこんなで、やっぱり日本の未来、いや、世界の未来は明るいのだ。生産性がなんだという、みんな、ゴミとなって、ホコリとなれ。したら、宙を舞えます。きもちがええ。


プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

最近の記事
カテゴリー
ブロとも申請フォーム
ブログ内検索
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。