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シコシコアナキスト日誌

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断食・行脚修行しよう そしてお告げを聞こう

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 ネパールとインドの国境あたりにルンビニという村がある。この村は2551年前に御釈迦さん(ブッタ)が生まれた地でもある。だから仏教四大聖地のひとつになっている。仏教巡礼中の私は、さっそくルンビニにある日本山妙法寺の道場にいってみた。
 日本山妙法寺は世界中に仏教を広める日本の仏教団体だ。釈迦の教え非暴力を徹底的に実践している。また、マハトマ・ガンジーの非暴力直接行動・不服従(インドはかつてイギリスに支配されてた。ガンジーをはじめとするインドの人々はイギリスの物理的な暴力や侵略に対して、非暴力で臨んだ。警官に殴られてもけして殴り返さずにひたすら独立のために闘った。また、イギリス製品をボイコットして自分たちのものは自分たちで作ろうという運動をおこした。)に大きな影響をうけている。
 そのため、妙法寺の坊さんたちは反戦デモや米軍基地反対の座り込みに毎度参加している。妙法寺は日蓮の弟子のため団扇太鼓を叩き「南無妙法蓮華経」(お題目)を唱えている。デモや座り込みでは、平和を願ってこの太鼓を叩きお題目をあげている。
 妙法寺の活動は戦前から続いている。中でも印象深いのは、砂川闘争(立川にある土地を米軍基地拡張にさせないための運動)のとき、戦争に反対してお題目をあげていた妙法寺のお坊さんたち。そこに強制排除に来た機動隊に頭をかち割られた。しかし、お坊さんたちは太鼓とお題目をやめずに動かなかった。どんなに血まみれになってもやめず、ついには機動隊が諦めて退散したという。
 また、三里塚闘争でも戦争に利用する空港・空路に反対して空路工事予定地にストゥーパ(卒塔婆・御釈迦さんのお墓)を建ててひたすら座り込んでいる。
 海外でも戦争があれば戦場へ太鼓ひとつ持って非暴力の祈りをあげにいっている。また戦場で平和行進もしている。そのため、数人のお坊さんが戦場で命を落としている。とことん身体をはったお坊さん集団だ。
 その他にもアフリカ大陸・アメリカ大陸横断、アウシュビッツから日本まで平和行進をしている。と、ほんとうに歩く、歩く。どこまで歩くのか。
 そんな型破りな仏教界のアナーキー集団は世界各地(とりわけインド)に平和の象徴であるストゥーパを自分たちの手で建てている。坊さんはまず肌一貫で海外へ飛ぶ、そこで地元の人たちのサポートを得て建設する。ここの坊さんたちは、ドカタ職人でもある。まさにDIY仏教だ。
 なぜ、妙法寺は世界に出るのか。とりわけ仏教の生まれたインドに再び仏教を広めるのか?それは、日蓮宗の開祖である日蓮が「日本の仏教はやがて仏教の生まれた国・インドに帰る」と予言しているからだという。(ここで予言と使われるが、予言というのは未来を予知しているというより、後世の者がその予言を読んで予言通りに実行してるまでだと思う。)
「あぁ、日蓮がこんな予言を出している、彼をうそつきにもできまい、じゃあ、やるか」という具合に妙法寺の開祖・藤井日達聖人がインドに日本の仏教を返す運動を始めたようだ。中でも評価されるのは御釈迦さんが「南無妙法蓮華経」を説いたとされるインドのラージギル・霊鷲山にストゥーパを建てたことだ。この建設には地元の人をはじめ、お坊さん、旅人、ヒッピーなどが参加した。
 妙法寺の活動をあげるときりがない。ただ、特筆するとすれば、妙法寺は葬式や法事をしない。墓を持たない。信者から金を求めないと徹底しているようだ。だから、坊さんに給料があるわけもなく、寺もそれぞれで独立して運営しているようだ。だから貧乏寺が多い。さらにお坊さんは妻帯していない。だから自分の息子に寺を継がせるという構図がない。(ちなみに日本の仏教以外はすべてこれと同じ構図だ。)ここが、日本の葬式を中心とする仏教と大きく違う点だ。

行脚修行をしよう

 話を戻すと、この妙法寺のルンビニ道場に世話になることにした。朝は4時半に起床。そのまま準備体操、太鼓を叩き「南無妙法蓮華経」をあげながら行脚をはじめる。だいたい一時間真っ暗闇を歩くとマーヤー堂というブッタの生まれた地が保管された寺につく。マーヤーはブッタの母親だ。ブッタを生んだ後まもなく死んでいる。この寺で30分ぐらいお経をあげる。その後、村をまわる。村は国境付近だけあってネパール系の村、インド系の村(ヒンドゥー教徒の村、イスラム教徒)が混在している。村人の中には、インド国内からの難民の数も多い。ひどいところだと、家すらなく市場の屋根の下で暮らす集落もいる。
 そんないろんな村を三時間半から四時間かけて行脚する。太鼓を叩いてゆくと村の子どもたちが、すでに家の前で合掌してお坊さんが来るのをまっている。また、中には太鼓の音を聞いてあわてて笑顔で走ってくる子もたくさんいる。お坊さんが子どもたちの前に着くと、三回お題目をあげて互いに礼をする。お坊さんの太鼓を子ども自身が叩いてお題目をあげる。少し大きい子どもたちは一緒に行脚する。
 ほんとうに子どもたちはうれしそうに太鼓を叩き、お題目をあげている。どこの村へいっても、これでもかってぐらい子どもが集まってくる。そこにはヒンドゥーの子もイスラムの子もいる。宗教の壁はない。
 たしかにお題目には人を引きつける力があるかもしれない。しかし、それよりも太鼓の音・波動の方にもっと人を引きつける強い力があると思った。太鼓をひとつ叩くと遠くから、子どもたちが白い歯を見せながらこっちへあわてて走ってくる。中には、急ぎすぎてこける子もいる。それでも、たちあがって太鼓を叩かせろといってくる。これが飽きずに5年もほぼ毎日続いているという。まさに、音の力だとしかいいようがない。
 ちなみにここのお坊さんがアフリカで修行していた時、村の中で太鼓を叩いて歩くとアフリカの人々はけつを振って踊りだしたという。それだけ音・太鼓には力があるのだろう。音を聞いて踊ることを忘れた民ほど悲しいものはないかもしれない。
 
 「南無妙法蓮華経」。泥まみれの中にも美しい蓮の花は咲く。欲まみれの殺し合いばかりの世界、この世界を皆が共存できる世界に変えてゆく。死んだらどうなるかではなく、今生きる限りを尽くす。今生きている世界を仏さんの国にする。これが御釈迦さんが説いた「南無妙法蓮華経」だと理解している。

(だから、このお経をあげて戦争に加担するのはおかしいと思う。池田大作先生の創価学会も「南無妙法蓮華経」だけど、創価のひとつである公明党は自民党といっしょにアメリカの戦争を支援して、戦争法を進めている。このさい、創価の細かい問題はどうでもいい。創価にもいいやつはいる。愛すべき友人もいる。みんながみんなじゃないと思うが、ただどうしても戦争に加担する行為だけはしないでほしいと思う。たとえ幹部がなんといおうとも。信じるべきはお釈迦さんの法にあると思う。これは、互いに法華経を慕う者として、同じ非暴力を大切にする仏教徒としていいたい。)

 話がそれたが、みんなが多少貧しくても音を聞いたらけつを振って踊りだす気持ち、そんな中に妙法蓮華はあると思う。いいじゃないですか、こんなソウルフルなお経も。

 行脚をトータル五時間ぐらいして寺へ戻る、歩き過ぎて足は棒。腹もぺこぺこ。でも飯は12時まで我慢。飯までは掃除などをする。やっと昼飯。この寺の食卓にあがる米や麦は寺の中で自分たちで作ったもの。ここの坊さんは農家もやる。
 ちなみにこの寺にはネパールの孤児が8人すんでいる。この子たちはこの寺で勉強して自分の食べるものを自分たちで作っている。また朝晩のお勤めもやっている。
 
ちなみにご飯の作法は禅宗にのっとっている。ご飯を食べる前後にお経をあげて、ご飯は水やお茶で洗い流しきれいにする。昼食後は何もなければ寝たり、本を読んだりする。5時からお勤め。まずは、寺内にある高さ109メートルある馬鹿でかいストゥーパを3周。その後本堂でお題目をひたすら一時間あげる。ずっとループしてお経をあげいるから少々頭がトランスする。(おそらくトランスさせるためかもしれない。基本的に宗教は人を引きつける為に宗教儀式が欠かせないようだ。この宗教儀式の多くはトランス状態に陥るケースが多い。神との交信という意味もあるだろう。どちらにしても悪用すればいくらでも悪用できるし、有効的にもつかえる。)
一時間半ぐらいでお勤めし、最後にこの寺で殺されたお坊さんのストゥーパに向かって題目をあげて終わる。
 その後夕飯を食べて、瞑想して寝る。日中の疲れからすぐ寝れる。こんな生活をひたすら繰り返す。寺のまわりは鶴やハゲタカみたいな野鳥が多い。夜はジャッカルが唸っている。とても自然に恵まれた地だ。ストレスを微塵も感じない。結局、私はこの寺に一ヶ月間いることになった。

断食修行をしよう

この寺では、一年に一回一週間断食、一ヶ月に一回三日間断食を行っている。断食は三大欲求の一つ食欲を自分でコントロールできるようになるための行だと思う。また、体内の汚れ、宿便を一気に洗い流すことができる。お坊さんに勧められて私も三日間断食をすることにした。妙法寺の断食のつらい点は、水も飲めない。さらに朝四時半から夜六時半までエンドレスで太鼓を叩き、ひたすらお題目をあげる。これには本当に堪えた。
一日目は腹が減って仕方なかった。日中のエンドレス題目もつらい。眠い。しかし、ある境を過ぎるとやけに集中してくる。たぶん、やけという諦めからなんだと思う。そのまま夕方ぐらいまでなって疲れが一気にでる。最後の一時間は長い。きつい。ようやく終わって、空腹とのどの渇きを抑えて気を失うように七時には眠る。断食中はよく食べ物の夢をみるらしい。その晩の夢はすごく鮮明だった。母親がでてきた。あったかいご飯に納豆をぶっかけて食わせてくれた。おいしくいただいた。
二日目朝がかなりつらい。中々起きれない。起きてさっそく太鼓とエンドレス題目。朝日が出る前が特に眠くて何度もひっくり返る。喉がカラカラになる。でも初日ほどお腹がすいていない。少し身体が慣れたのか集中できる。エンドレス題目も調子がよくなってきた。「だんだんよくなる法華の太鼓」という言葉があるが、飯も水も断っているせいか何か身体から気持ちいい成分が出ている気がした。おそらく出ていると思う。これがまさに宗教トランスであり、宗教エントランスなんど感じた。
本当、人はいい意味でも悪い意味でも簡単に洗脳や植え込みができると実感した。例えていうなら身体をコップだとする。コップの中に注ぐもの次第で自由自在に中身が変えられる。コップに冷たいコーラを注げば中身は冷たいコーラ。コーラを捨てて冷たいビールを注げばおいしいビールになる。つまり、コップに注ぐものは人格。なにを注ぐかでその人格も意図的に作ることができる。これは宗教だけじゃなくて、学校教育もテレビ番組も週刊誌も同じようにみえる。ようはこれを悪用するか正しく使うかが問題なんだろうね。むずかしいことですが。
二日目の断食は一日目よりは楽だった。しかし、喉の渇きはどうにもならなかった。寝るのがつらかったがすぐに寝れた。この晩の夢も鮮明だった。夢の中にばあちゃんがでてきた。ばあちゃんが関西風のあったかいうどんを食わせてくれた。天ぷらもつけてくれた。おいしくいただいた。
三日目の朝、身体はだいぶ慣れた。力は入らないがすごく楽。神経が研ぎ澄まされてる気がする。お坊さんの話だと三日目以降はけっこう楽にできるという話だった。朝のお勤めを八時ぐらいまでやる。そしてついに断食明けをする。ようやく水が飲める。うれしくて仕方がない。なんというか達成感からか全身が清清しい。太陽やら雲やら木やら鳥やらといった自然のなかに吸い込まれてゆく感じがする(言い過ぎ50%増し)。ついに断食明け。お経をあげる。水の入ったコップを手に取る。うれしくてうれしくて涙がでそうになる(これは本当)。さらに溢れる涎を抑えて一気に水を流し込む。丸二日ぶりの水。水が身体に染みてゆく。うまい。とにかくうまい。こんなうまい水生まれたはじめた飲んだってぐらいうまい。うれしくて、うれしくて仕方ないので少し泣いてみる。それからドンブリに梅湯とレモンをたらし、塩を入れて飲む。もう、感激でなにもいえない。さらに色とりどりの野菜が運ばれる。にんじん、大根、トマト、茹でたてのブロッコリー、菜っ葉。これをゆっくりと食す。どの野菜さんも口の中で甘さが広がる。とける。いや、野菜さまが口のなかでとけているのではない。私が野菜さまの中にとけているんだ。まさに口内射精。ちなみに射精された精子数億匹はすべて自分自身。そう思えるぐらいうまかった。嘘ではない。とにもかくにも水や飯を食えることのありがたみ、感謝を全身全霊で感じた。これが断食する意味なのかもしれないと思った。人間は飽食が慣れるとそれが当たり前になってしまう。食事という好意を当たり前にしないためにも断食は有効的な行だと思った。と、いいつつ梅湯をドンブリで五杯、六杯、七杯と飲むうちに次第に飽きが来る。野菜さまも食い過ぎて食べたくない、顔もみたくない。って、今いっていたことは一体なんだったんでしょう?あはは
これからが断食明けのつらいとこだった。梅湯をまずドンブリで十杯飲む。さらに野菜をこまめに食べる。梅湯で腹の中を洗い、野菜くずで一気に腸内にこびりついた宿便を落とす。梅湯を十杯ぐらい飲んだところで、ようやく便意が襲ってくる。さっそくトイレでゴールデンシャワーをする。でも、なかなか切れが悪い。だから梅湯をもっと飲む。15杯、16杯、17杯、もう吐きそう。さっきまでの喜びは苦しみに変わる。18杯、19杯。いいやどうせだ景気よく20杯。もう限界。先生、飲めません。そのままトイレへ走る。すると勢いよく真っ黒いシャワーが流れ出る。おぉ、宿便だぁ!肛門が2センチぐらい飛び出るまで数十分格闘した。ついに黒いシャワーが白いシャワーとなって試合終了のホイッスルが鳴る。トイレのドアを開けると身体は軽く宙を浮き始める。さらに太陽の日差しのキラキラのなかに身体がとけてゆく。あぁ、こりゃあたまらんわい。なんだか温泉につかっているような極楽な気分になった。
閉めに片栗粉を水でといて固めたものに蜂蜜をかけて食す。この片栗が下痢を止める。かくして五時間に渡る宿便との決闘と、己との闘い断食が終わったのであった。私は、断食も終わったし、数日後に寺を出ることをお坊さんに告げた。

お告げ

その晩、わたしは日蓮についての本を読んだ。日蓮は死後極楽浄土へゆくために祈ったり徳をつむのではなく、今この生きている世界をみんなが共存してゆける世界にしてゆこう、そういってるんだと感じた。そりゃあ、そうだ。死後よりも今だ。日蓮に感激しながら床についた。そのまますぐに夢を見た。断食三日間で一番鮮明な夢だった。
私はどこかの寺にいた。すぐ横に妙法寺の開祖・藤井さんがいる(ちなみに師匠は亡くなっている。)その師匠が寺の中を案内してくれている。そして、いろんなお坊さんの名前をあげて私に紹介してくれている。寺の中に入る瞬間、ふっと思った。そういえばお坊さんがいっていた。「お坊さんになる人の多くは夢でお告げを聞く。」「さらにそのお告げを聞いて出家する」と。「あわぁあ!こりゃぁそのお告げか!!俺は坊さんになるのか!」と焦った。その瞬間私は夢から吸い出されるように自分が寝ている姿に戻った。しかし、おかしい、身体がまったく動かない。私は昔からよく金縛りにかかる夢を見る。だからけっこう落ち着いていた。が、今日はいつものとは少しかってが違う。それもそのはず、わたしの寝ている横に誰か立っている。ようく見ると私の横に真っ黒い法衣を着て坊さんがかぶる笠をかぶった馬鹿でかい坊さんが仁王立ちしている。これにはびびった。もう頼むからやめてくれ。金縛りからとけて夢が覚めるのを願った。しかし、そうは問屋が卸さない。この坊主は馬鹿でかい声で「南無妙法蓮華経!!」と吠えてきた。この声は私の身体の中に入り込んできて雷のような電流のような感じでガツンと流れた。あっああ、こっここわい。恐怖はピーク達し、必死にもがいてはっと目が覚めた。外では犬がうるさくほえていた。あまりにもリアルな夢にガクガク震えた。部屋の中はわたし一人。部屋の壁には夢に出てきた師匠の写真、ブッタの像。
これは、坊さんになれってことなのかと自問自答した。坊さんになって仏道のために我を捨ててただ人々のために尽くせというのか、SEXも結婚も射精も捨てろというのか!しかし、どうしていいかわからない。だからとりあえず寝た。
翌朝、いつものように行脚に出かける。マーヤー堂でお坊さんにあらたまって話しをされた。「明日から一週間ばかり寺の留守をしてほしい。毎朝晩のお勤め、子どもたちへの日本語の授業、休日の映画鑑賞、旅行者の受付をしてほしい。」とのことだった。昨晩の夢といい、お寺の留守番の話といいなんだか話がうまいこと進みすぎている。少し不思議な気分になってきた。しかし、先を急ぐわけでもないし、夢も見たばかりだ。少し流れに身を任せてみようと留守番を引き受けた。   
その後、お坊さんに夢の話をしてしまった。すると「そうですか、みましたか。」と、さも当然のように「いらっしゃい、こっちの世界へようこそ」といわんばかりの微笑みをうかべていた。その晩、お坊さんに呼ばれて本堂にいってみた。またあらたまって「この太鼓と巡礼服と頭蛇袋を使ってください、そして出家するかどうか考えてみてください。この頭蛇袋はこの寺で殺されたお坊さんの形見です。」といわれた。驚いた。話がうまいことお膳立てされすぎている。まぁ、こんなこともあるだろうとひとまずは形見を授かった。ということで留守番の日々がはじまった。

留守番と看護婦

お坊さんがいなくなって、すぐに天気が崩れた。雷と大雨が降り続いた。まじかよ、こんな中、5時間も行脚しないといけないのかよ、と思いつつ仕方なく朝4時半から行脚にでた。道はどしゃぶり池になってる。さらに真っ暗でなにも見えない。ときおり光る雷が道を案内してくれる。真っ黒闇を一人怖くて仕方ない。マーヤー堂で寒くて震えながらお勤めをして外へ出ると雨はやんでいた。なんだ、村も行脚しないといけないぞ。せっかくさぼれると思ったのに。と、初日にして生臭坊主になってしまった。これも仕方ない。こんな日が二日続いた。
留守番にも少し慣れてきた。いつものように村を行脚していた。家のない人々の住むエリアに入った。いつもは元気に走ってくる子どもの一人が今日は屈んだまま大泣きしている。見てみるとその子の足が真っ黒に焦げている。どうやらあやまって焚き火の中に足を突っ込んでしまったようだ。落ち着きがすごくなかったから、もしかするとこの子は少し知的障害をもってるような印象をうけていた。この子どもの傷口はかなりふかい火傷にみえた。その子どもの両親は横で飯を食っていた。全く危機感がなかった。この子には両親もいるし、ここで手を出していいかすごく悩んだ。とりあえず一度寺へ戻った。もしも私がこの子の手当てをしたら今度なにかあったときに寺にみんなが頼ってくるかもしれない。そのとき、私はいないかもしれない。まて、出家したらいるかもしれない。いろいろ考えた。  
今回私は旅の中でスラムや貧困エリアで善意と思ってした行為が余計な混乱を生んだこともないわけではなかった。火傷した子には親もいる。親が治療すべきだろ。しかし、家もないのにどうやる?治療法を知っているのか?あぁ、手遅れになったらまずい。もしも手を出したら仕舞いまでやらんといけない。葛藤のすえ、やっぱり子どものところへ行くことにした。ゆくと火傷の子どもは大泣きしている。父親は寝ている。母親は子ども抱いている。きてよかったと思った。とにかく応急手当をした。やけどの深度は深かった。片方の足の皮膚はほとんど剥けてぐちゅぐちゅになっていた。傷口に消毒や薬が染みるようでさらにないていた。家は市場の屋根の下、ハエもたくさんいるしゴミも散乱している。下手すると破傷風になるかもしれない。翌日から病院へつれてゆくことにした。
翌日、行脚のあと村へゆくと案の定、病人の老人や赤子を連れた母親がわたしのところへ来て、ここが悪いみてくれといってきた。ほとんど栄養失調な感じだった。一番心配していたことになった。今後、これが寺にまでいかないといいと思った。本当はみんな病院へいければいいがそれもできない。とりあえず、格安の病院があるからそこへ自分でいってくれと伝えて、火傷の子と母親を自転車に乗せて病院へむかった。
病院は仏教徒が慈善事業で運営していた。そのため、治療費が5ネパールルピーと安い。ちなみに一リットルの水が15ルピー、チャイ(お茶)が5ルピー。だから金のない病人がたくさんいた。しかし、この金すら出すのが苦しいのがこの家族だった。収入源はおそらく物乞いのようだ。ぎゅうぎゅうの病院の中、外国人の仏教徒という理由で特別扱いをうけて、優先的にみてもらうことができた。おい、おい、平等の思想は一体どこへいったんでしょうか、あたし。
医者も子どもの傷をみて、おどろいていた。とりあえず抗生物質の注射をうってもらった。しかし、混雑のためかすこぶる治療が雑だった。それから、この子どもを村まで送っていった。帰りに思った。なんだか、寺から離れられなくなってしまった。いよいよ、お坊さんになるべきかもしれない、この村の人々になにかできないだろうか?なんて強く思うようになっていった。ホント見事に出家の道が近づいてきた。
それからも朝の行脚が終わってから、子どもの治療に通った。病院にも連れて行った。傷が日に日によくなったかと思うと頑丈にしておいたはずの包帯がはずれ靴下もどこかへ消えている。傷口は見事に開いてハエが踊っている。さらに、泥の上を歩いたのか、真っ黒になっている。子どもも熱が出ている。これには苛ついて何度となく親に文句をいった。でも、いまさら文句をいっても仕方がない。自分の良心を守るために両親の代わりに手をだしたのは自分だ。自分の中に驕った気持ちがないわけではないはずだ。
両親に処置や治療を伝えるのは諦めて、その子のお兄ちゃんに教えることにした。彼は小学四年生ぐらいだ。親がしっかりしていない代わりにその子どもはしっかりしていた。一週間たった。火傷に少し膜ができた。注射も打ちすぎな気もしてきたので医者に許可をとって自分で手当てすることに変えた。家庭の医学にもひどい火傷の後、一週間なにもなけば一安心していいみたいなことが書いてあった。わたしの変わりにお兄ちゃんがうまいこと消毒と包帯をまけるようになった。これはわたくしの指導のたまものであります。なんて驕ちゃいけない。
ついにお坊さんが帰ってきた。恐る恐る事情を話した。するとこのお坊さんもアフリカで修行していたとき、毎日のように病人の手当てをしていたと語ってくれた。村の人からは途中からお坊さんではなくドクターと呼ばれていたらしい。しかし最終的に病人の手当てばかりになり金も尽きどんづまりになったようだ。とにかくこれを使うと良いですよと「い草」をくれた。い草をいぶして傷口にあてた。こうすると自然治癒力もあがるらしい。それに子どもの回復力、生命力もたいしたもので、10日目ぐらいでだいぶよくなった。
その頃から、お坊さんがし切りに出家を勧めてくれた。4月の末に日本でお坊さんになる式がある。それに出ないかと。そしてそのあと、ネパールに戻ってきて一緒に学校をやらないかと誘ってくれた。うれしかった。でも、迷った。
お坊さんになるということは、全てを捨てる、家を捨てる、どこで死んでもかまわない、すべての人にささげる、そんな覚悟がないとだめだと思った。だからやりたいけどその覚悟が今すぐにはもてそうになかった。
ここのお坊さんは、去年、ネパールの王様が民衆からデモクラシーを奪って全権力を握った時、王宮前にいってデモクラシーが民衆に返されるまで無期限断食をする誓願をたてた。その結果、願いが通ったのかどうなのかわからないが運良く、19日目で権力が民衆に戻された。さらに21日目にその条約ができたという。こうして21日目に断食をやめたという。内心はドキドキだったと語ってくれた。この断食によって半年は身体がおかしかったらしい。(断食のうち一週間までは水をのまずその後、水だけの断食をする。)
こんな覚悟が自分ももてるのか。非暴力、平和だと簡単に言っているが、実はものすごい覚悟がいることなんだと痛感した。どんなに殴られても逃げない。じっと座る。歩く。やめない。この覚悟があってこその非暴力・平和。あったかいコタツの中で平和を語るのは容易い。こたつで酒を呑んで理屈をこねる自分。そんなができるか?正直わからない。
かつてマハトマ・ガンジーをはじめとするインドの人々は非暴力の闘いのために、道場を作りそこで非暴力のトレーニングをしたという。まさに、妙法寺も同じだ。(後になって思うが、覚悟なんていきなりできるわけでもないだろうから、この道場でトレーニング、修業して覚悟をつくってゆくのもひとつだとも思っている)
わたしは迷った。子どもの頃からの夢、世界一周の放浪をとるか。それともすべてを捨てる覚悟をもつために出家するか。どちらにしても、この閉ざされた空間にいると冷静さもなくなるだろうと思い寺をでることにした。その後返事をだすことにした。

わたしはその後、仏教聖地巡りの続きに戻った。いろいろなお坊さんにあって相談した。そして、今回は出家することを見送った。結局、少しばかり一緒に旅行していた女の子にうつつをぬかしてしまった。しかし、手を少し握って恥ずかしくてすぐに離してしまった。出家しようか迷ってた矢先に、女の子の手を握ろうとして握れもしない。射精もできないでいる。俺は飛んだインポ野郎だ。この一ヶ月、俺は一体何を学んだというのか。その答えがこれだ、結局、女の子。うん、仕方ない。これでいい。いや、これでいいのだ!!

追伸 今後も仏教のみならずいろいろな宗教や思想、コミュニティーの中で学び盗みとろうと思う。かっこつけていうならまだまだ求道の旅は終わらない。禅宗の修行者は道を求めて師を探して旅をする。この修行者を「雲水」という。雲のように、水のように流れてゆく。
あぁ、俺なんか、自分の精子を排水口に流してばかり。いやぁまて、排水口を通った精子はやがて川に流れ海にたどり着く。そして蒸発して雲になって雨になって、畑をうるおし食物に帰る。そして、人の口に入る。また精子を作るエネルギーになる。おぉ、まさに輪廻転生であります。まさしくこれでいいのだでございます。かしこ
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プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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