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シコシコアナキスト日誌

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外務省推進抗議活動

Category: 未分類  
外務省のサイトを見たら、以下のようなことが書いてあった。



首都バンコク都(タイ):政治的集会に対する注意喚起

※ 本情報は、海外に渡航・滞在される方が自分自身の判断で安全を確保するための参考情報です。本情報が発出されていないからといって、安全が保証されるというものではありません。
※ 本情報は、法令上の強制力をもって、個人の渡航や旅行会社による主催旅行を禁止したり、退避を命令するものでもありません。
※ 海外では「自分の身は自分で守る」との心構えをもって、渡航・滞在の目的に合わせた情報収集や安全対策に努めてください。

 首都バンコク都において、以下のとおり政治的な集会が行われるとの情報がありますところ、21日付けスポット情報や危険情報でも注意喚起致しましたが、首都バンコク都に渡航・滞在される方はこの集会には絶対に近づかないでください。

1.開催日時
  9月22日 午後6時ころ

2.開催場所
  サイアム・パラゴン前噴水付近(バンコク都スカイトレインのサヤーム駅北側所在のショッピングモール)

3.主催者
  チュラロンコン大学関係者(教授、学生等)

4.参加人員
  詳細不明

5.開催理由
  民主主義統治改革評議会に対し、今次政変の手法に抗議の意思を表明するため

6.留意事項
  現在、民主主義統治改革評議会により5人以上の政治集会や政党による政治活動が禁止されており、仮にこの集会が開催される場合には、当局が集会を制圧するような事態に発展する可能性があります。また、交通規制等も予想されます。


◎以上

こんな情報を個人で掴むのはちょっと難しい。
でも、外務省がいうなら確かだろうと、これは
てめーの足で行って来いって言ってるんだと理解
してみた。これを外務省推進抗議活動と読んだ。

この告知をみたのが夕方で、どう考えても遅刻すれすれ
なので即行タクシーに乗り込んだ。しかし渋滞。
なんとか走って、抗議集会らしき場所に到着。

抗議活動をしていた学生、それを取材しに
きていた各国のマスコミがうじゃうじゃしてた。
話を聞いてみたところ、一応の抗議は終了していた
様子。


読売新聞の一部に

「クーデターに反対する9月19日ネットワーク」と称する学生らのグループが、「軍による政権の転覆は受け入れられない」として22日夕に集会を開くとの情報が流れ、バンコク中心部の一角が一時、緊張した。しかし、若い男がクーデターに抗議する声明文を読み上げようとすると、警官が排除、懸念された衝突は回避された。
 市民団体の間には、「憲法を廃止したりメディアを統制したりする行為は危険以外の何ものでもない」(ある学生団体)という声もあるが、今のところ広がる兆しはない。


って書いてある。が、遅刻したせいでその現場は見れてい
ないが、オレの到着した30分後ぐらいはまったく緊張感
などなかった。これは19日、20日の市内の様子と同様
のゆるい雰囲気だった。

しかし、現体制への抗議活動の禁止、テレビの統制、憲法
の廃止とあまりにも独裁的過ぎる。そもそもクーデターと
いう代物自体が独裁そのものっていうのはあるがあまりに
も酷過ぎる。

今回のクーデターに反対する学生たちの行動は当然な反応
だといえる。街を歩いていると、パンクTシャツやアナー
キーTシャツを着ている若者に出くわす。ぜひとも、この
かまけて体制に鉄槌をいてやるようなパンクを聞かせてい
ただきたい。いや、オレが難聴なだけできっとどっかで叫
んでいるはずだ!やってまえ!
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バンコク・クーデター祭り

Category: 未分類  
9月20日、一日かけてバンコクの政治的中心地を
歩いてみた。まず、国会議事堂の方へいって
みた。省庁前に置かれた高級車に落書きがさ
れていた。「軍は我々のヒーローだ」と書い
てあった。

そして、少し進むと、道が封鎖されていた。
道路に鉄柵をひき武装した軍人が警備して
いた。しかし、その鉄柵前には無数の地元
民と観光客がカメラをもってあふれかえっ
ていた。そして、みんなで仲良く写真撮影
をした。軍人もそれに応えて笑顔で記念撮
影。なんとも緊張感のない雰囲気におかし
くなってきた。さらに、屋台も出ていた。

ここに集まった多くの人は、反タクシンの
ようだった。あるおっさんに話を聞いたと
ころ、「タクシンは好戦的過ぎる平和では
ない、今すぐ出てけ!」と怒りをあらわに
していた。

鉄柵があるにも関わらず、裏道から行くと
その鉄柵をなんなく越えてさらに先へ進む
事ができた。なんのために警備しているの
かよくわからなくなってきた。なんという
か、車はいないんだけど、地元の人や観光
客のための歩行者天国と化していた。その
ホコテンには戦車や装甲車、軍人が無数に
いた。また、多くのカメラマンがいた(素
人、プロ含め)。なんだか、軍モノオタク
のためのお祭りのような感じがした。

それから、軍隊が封鎖している各所、戦勝
モニュメント、陸軍駐屯基地、占領された
テレビ局などをまわってみた。
どこへいっても、軍人は写真をとられるの
に喜びを感じているようだった。また、ど
こへいっても、軍人と戯れる地元民や観光
客がいた。

今回歩いてみてかなりおもしろい光景を
目にする事ができた。それは、クーデター
によって封鎖されたエリア(人のみOK)で
若い女の子をナンパする若い軍人を目にした。
後ろに上官らしき軍人が数人いるにも関わ
らず堂々と電話番号の交換をおこなってい
た。もしかすると、上官の命令でコンパの
約束をしていたのかもしれない。

なんというか、これをクデーターと呼ぶの
かと思ったら腹がよじれるほどおかしくな
った。さらにこれを革命だ!と豪語するヤ
ツもいた。このイベントを革命やクデータ
ーと呼ぼうがどちらでもいいのだが、あま
りにもゆるい空気に圧巻されてしまった。

しかし、今後タイは憲法をストップさせ、
新しい国会をつくるとかいう話を聞くが、
こんなノリで果たしていいのだろうか??
街には政治的なレスポンスはほとんどない。
あるとしたら、軍隊を支持して差し入れな
どをする地元民ぐらいか。

俺は、街を歩いてる途中、スラムを目にし
た。そこは他の多くのスラムと同様にゴミが
散乱して、人と家がぐちゃぐちゃに密集し
ていた。中に入ってみると、多くのこども
が元気よく遊んでいた。ただ、タイのスラ
ムの場合、犬が多すぎて怖すぎた。
まさしく現在行われてるクーデターとこの
スラムの生活は天と地ほどの差を感じた。
一体、誰のためのクーデターというのか。

その夜、タイ人の友達と4年ぶりに再会し
た。彼女はどちらかというとお金持ちに入
る。彼女とその友達に、タクシンのことを
聞いてみた。「私達は、タクシンを支持し
てる、彼のおかげでタイの経済が伸びてる
んだから。」逆に、街であった反タクシン
派の若者は「タクシンはビジネス過ぎる。」
と語っていた。これは、どこの国でもわか
れる意見なんだろうと思った。
俺の意見は、貧乏人や地球にやさしくなく、
大企業やアメリカばっかりを思いやる政党
は死んだ方がいいと思っている。これを地
元民にいってもうまく伝わらない。しかし
日本で同じような事をいっても、同様にう
まく伝わるわけもない。

さらに、その夜、イスラエルと日本の友達
と三人でクラブへいってみた。クーデター
最中のクラブってものを見たかった。その
日のイベントは外タレが来るはずだったが
キャンセルが入ったようだった。そのクラ
ブでは数日前にコールドカットのイベントが
あったり、数日後にken ishiiの
イベントも予定されてる。
客はそれなりに入っていた。観光客とりわけ
白人が多かったが、地元民の金持ち層もけ
っこういた。政治がどうであれ、人は踊り続
けることにおもしろさを感じた。
これは、政治がどうであれ、売春街が眠ら
ないのと同じような気もしている。

最後におまけで政治がどうであれ、クーデター
最中でも軍人はナンパする。

写真はこちらへ
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=225243497&owner_id=5635310


バンコクのクーデター

Category: 未分類  
俺は今、バンコクにいる。昨夜、バンコクの首都でタク
シン首相の汚職政治に対する無血クデーターが起きたと
聞いた。だからか、心配してくれて親と親友からバンコ
クでクデーターが起こってるが大丈夫か?というメール
が来てた。

俺は、タイの政治にうといので切迫してるとは全く知ら
なかった。しかし、旅行者の間では、タクシン首相によ
って、夜中コンビ二でビールや酒が買えない、とか、風
営法によって夜の遊びを規制してるとかいう話題があが
っていた。
そんなタクシンは、酒と夜の遊びを規制する悪い奴だ!
あいつこそ、風呂屋(ソープ)で一番風呂を浴びてんじ
ゃねーか!ええい、けしからん!やっちまえ!と話をし
ていた。

そんな感じで、俺は昨日晩は宿の仲間と一緒におねーチャ
ンがたくさんいる店にいって酒を呑んでいた。途中、店の
テレビで人だかりができて、なんだろうって思ってたけど
俺は物売りのこどもに合気道を教えるのに夢中だったので
見なかった。今なってみると、そのテレビがクデーターの
内容を話していたようだ。

帰りにタクシー乗って街を見ると、なぜか戦車がとまって
いた。道路が規制されてるようで、タクシーも遠回りで宿
に帰った。街は、別段静かでいつもとなんら変わりなく
見えた。政治がどうであれ、無数の立ちんぼがたっていた。

今日は、厳戒体制がひかれるとかいうが、どうだろう。そ
ん雰囲気はまったく感じられない。とりあえず、俺の血が
ふつふつと騒ぎ出しているので、今から街を徘徊しに行こ
うと思う。



[バンコク 19日 ロイター] タイで19日に無血クーデターを起こした軍部は、タクシン政権罷免と憲法停止を発表するとともに政治改革を実施後、速やかに民主主義の体制に戻すことを確約した。
 今回のクーデターを主導したのはソンティ陸軍司令官。
 クーデター側のスポークスマンは、約1年間にわたる政治的な行き詰まりの状態を解消し、「汚職の横行」を阻止するためタクシン首相は追放されたと述べた。
 タクシン首相は当初、滞在先のニューヨークからテレビを通じて、非常事態宣言を発令し、クーデターを阻止しようとした。放送は10分間で中断されたが、タクシン首相のスポークスマンは、軍部によるクーデターは成功しないとし、われわれは事態を掌握しているとの認識を示した。
 しかしタクシン首相はその後、19日に行う予定だった国連総会での演説を中止。さらにタイ政府の報道官はロイターに対し電話で、状況が変わったと語り、タクシン首相は「タイに戻るかどうかを検討している」と述べた。
 クーデター側のスポークスマンは、首相府の周囲を兵士と戦車部隊が包囲した後、軍と警察当局が首都バンコクと周辺地域を掌握したと発表した。タイでのクーデターは15年ぶり。

【バンコク浦松丈二】タイのクーデターを首謀した国軍のソンティ陸軍司令官は20日午前9時(日本時間同11時)すぎから国民に向けてテレビで演説し、現憲法を停止、タイ全土に戒厳令を敷き、実権を掌握したと発表した。司令官ら国軍首脳はこれに先立ち同日未明、プミポン国王に謁見(えっけん)し、ソンティ司令官がタクシン首相に代わる暫定首相に就任したことを明らかにした。国軍首脳は暫定的な短期政権だと強調している。ニューヨーク滞在中のタクシン首相が出したソンティ司令官解任の指示に呼応する動きは国軍内になく、01年に発足したタクシン政権は事実上崩壊した。
 ソンティ司令官は国軍最高司令官、海軍、空軍、警察トップを従えてテレビに出演した。クーデターを起こした理由についてソンティ司令官は「タクシン政権は国民を分裂させ、汚職をまん延させた。国の安全と経済運営に悪影響を与えかねない。(国軍と警察でつくる)民主改革評議会が実権を掌握し、正常化する必要があった」と説明した。一方で「我々は国王の下におり、自ら国を統治するつもりはない。できるだけ早く立憲君主制を回復し、主権を国民に戻す」と約束した。
 バンコクでは国軍が19日夜から20日朝にかけ、首相府や国会議事堂、テレビ各局など主要施設前に、戦車や装甲車を配置し、首都機能を制圧した。市街地では暴動や衝突などは起きておらず、平穏を保っている。
 国軍は20日未明、▽97年に施行された現憲法の停止▽上下両院の解散▽全閣僚の解任▽憲法裁判所の停止――を発表した。また、タクシン首相側近のチッチャイ副首相とタンマラク国防相を拘束したと明らかにし、首相が出した非常事態宣言を無効とした。秩序の早期回復のため、政府機関や銀行、市場を20日は休業とすると発表した。
 プミポン国王と国軍首脳の謁見の内容は伝えられていないが、最近、国民から絶大な尊敬を集めるプミポン国王の側近からタクシン首相の強権体質に対する批判が高まっていた。国軍が国王周辺の意向をくみとり、首相外遊中を狙ってクーデターを実行したとみられる。
 タイでは8月下旬にタクシン首相暗殺未遂事件が発覚し、軍幹部が相次いで逮捕されるなど軍事クーデターのうわさが流れていた。


花に嵐の例えもあるさ 出会いもまた人生だ

Category: 未分類  
旅をしているといろんな方に出会います。

全身にタイ仏教の刺青を入れた見た目はヤクザな日本国籍
の男性は、1980年代からキューバの共産主義活動に
参加。今も現役の活動家のようです。
彼は、10代でキューバに飛び、ベトナムや社会主義国
からの若者留学生と一緒に人民アパートを建設していた
と語っていました。当時のキューバは金はないが、国からの
配給によって食うのに困る人はいなかったと言っていま
した。夜の街も普通に歩けるぐらい治安は良かったとも。
現在のキューバはレゲトン過ぎだと嘆いていました。

60代ぐらいの日本国籍の男性は、オカルトに魅せられ
インドやネパール、東南アジアなどの神秘的な石を集めている方でした。またその傍ら、タントラや禅などを実践しているようでした。長々と石について話を聞かせてもらいました。
つげ義春の無能な人のようにただ働くのが嫌いで石を集めて
いるのかと聞くと、そんなものは知らないと流されました。
それと精力をつけるには、黒い石がいいと言ってました。
また、ねっからのガンジャ、オピューム好きな方でした。
自然からの贈り物について、いろいろ享受してもらいました。

12年ぐらい国を離れ旅やノマド(遊牧)を繰り返す
カナダ国籍のヒッピーなおっちゃんには、水難事故の防ぎ
からを教えてもらいました。お礼に彼の傷口に俺がバイク
でこけたときにもらった薬をぬってあげました。
そんな彼とある晩、酒を飲みにいきました。そこでぐでんぐでんに酔っ払ったノルウェー国籍の空手家で現役軍人の超マッチョな男に会いました。
聞いてもいないのにひたすら空手と戦争の話をし、相手に技をかけ威圧してきました。そんな彼の奥さんはバンコク産のレディーボーイでした。極左と極右が紙一重なんてききますが、マッチョとオカマもそれと同じで、タオイズムな蔭と陽のようです。

その他にも、20代前半にして世界中の風俗を網羅した青年。
東南アジアで自ら性を盗難されにイク日本国籍の女の子たち。
(日本で陽の目を見ない方は盗難アジアへ飛べ!)
2年以上も同じゲストハウスに泊まり、バンコクのことなら
なんでも知っているバンコクの魚くん。(俺なかでは小魚くんと呼んでいます。)片足一本と松葉杖で安宿を巡り歩く欧米のおばちゃん。30代半ばにして年金生活を始める兄さん。
したたかに、またしなやかな各国の売春婦たち。それに群がる各国の男たち。

あげるとまだまだきりがありません。

しかし、そんな中俺にはもっともお気に入りな方がいます。
それは、ラオスのビエンチャンで会いました。ちなみに
このビエンチャンという街は、ガンジャ(大麻)を吸うための
街です。お店では一日中、シンプソンズやフレンズなどがかかっています。また、ゆっくりと横になれます。そこで、
ガンジャ入りのハッピーシェイクやハッピーケーキなどを食します。俺的には、ガンジャもいいのですが、効きすぎて、
コミュニケーションが取れなくなってしまいます。
そんな中、俺は、彼女に突如出会ってしまったのです。

彼女はほろ苦い濃厚なジャムのように苦味と甘味を持ち
合わせ、それをたっぷりと16歳ぐらいの白人少女の絹の
ようなタバコに塗りこみ一気に吸い込みます。
そうです、そんな彼女の名前はオピュームさんです。

以下引用
(オピューム(opium)、阿片。芥子(ケシ)の実を傷つけ出てくる樹脂を固めたものが、オピュームつまり阿片となる。アルカロイドを主成分とし、麻酔・鎮痛作用があり、習慣性がある。これを精製処理したのがモルヒネで、更に化学的な処理をするとクイーン・オブ・ダウナー、ヘロインとなる。)

吸った事のある方はご存知だと思いますが、身体はガンジャ
のようにまったりと、しかし頭はパックリと冴えています。
俺にとって、焼酎に近いです。身体はゆっくり、頭はぱっくり。さらに、ガンジャ以上に音が素晴らしかったです。
これは横にいたドラッグ好きの連れも同じことをいってい
ました。

その後、街にいるバイタク(バイヤー)に声をかけられる
たびに、オピュームはないかと聞いてしまいます。これが
依存の始まりの様な気もするので注意しなくてはいけません。

ガンジャやコカの葉が少数民族の医療に用いられるように
オピュームも使われます。つうか、モルヒネの原料は
オピュームさんなので、みんなさまもお世話になっており
ます。今後、アフガン付近に行く予定なので、新たな
楽しみができました。用法容量を守って、楽しい時間を
過ごしたいと思います。

これからもいろんな人に会えると思います。
これだから旅はやめられません。自分(既成概念に囚われる自分)
を壊すには十分な材料だと思われます。

最後に

ケシの花に宇宙の例えもあるさ
サヨナラだけが人生だ。 


臨死体験

Category: 未分類   Tags: 臨死体験  
●原因

昨日、わたしはルアンパバーンにある
滝へいった。今ラオスは、雨季で水の
流れがとても速い。

この滝の周辺には泳げる場所があった。
一緒にいった中国の女の子と日本の学
生と私の三人で泳いだ。後から来た欧
米の人々も次第に泳ぎだした。水の流
れはとても早く、到底滝にたどり着く
ことはできなかった。

●衝動

連れの学生が、滝の前にジャンプ台の
ようなものを発見した。私もあとから
それに乗った。彼が飛ばないでいるか
ら、私が先にジャンプ台から、滝ツボ
に目がけて気持ちよく飛んだ。

そのまま、自然に水面に浮き上がって
くると思ってた。しかし、激しい流れ
に身体がまったく言うことをきかなか
った。水面に上がろうとすればするほ
ど、そのまま深みに押し戻された。
それを、二、三回繰り返してるうちに、
いよいよこれはまずいなって気がして
きた。

●後悔

その時、瞬時に頭に思い浮かんだのは、
雪崩にあったことのある人の話だった。
彼がいうには、雪崩に流されると、上
下がわからなくなり、慌てれば慌てる
ほど危険で、流れに身を任せなくては
いけないっていってた。同じように海
の波に飲まれたら、同様に慌てずに流
れに任せろって聞いたことがある。

とにかく、この激流(スクリュー)
からなんとしても出なくちゃって思っ
た。だから、慌てるのはよして無駄な
動きをなるべく減らそうとがんばって
みた。しかし、一向に流れから出るこ
とができない。たまに水面に押し出さ
れてはわずかに呼吸して、また、深み
に押し戻された。水面に上がった一瞬
に、必死に手を振って助けを求めたが、
誰も助けには来ない。あぁ、なんだか、
ほんと寂しいなぁって思った。

ついに、水面にすらあがれなくなって
きた。もう、助からないんじゃないか
と思い始めた。私はこんなショボイ滝
で死ななきゃいけないのか!まだまだ、
やりたいことがある!えぇ、ホントに
死ぬのかって悔しくなった。

●覚悟

もう、息が続かなくなり、波に回され
過ぎて身体もうごかなくなってきた。
あーいよいよ、本当に死ぬんだなって
思った。あーほんと覚悟しなきゃって
思った。身体は、もう深みに沈みきっ
てきた。

●諦め

最後に、ふっと頭に思い浮かんだのは、
映画「タンポポ」の冒頭の、役所広司
の台詞だった。人が死ぬ瞬間、最後に
長い走馬灯のようなものを見るといっ
ていた気がする。さらに、そんな最後
の映画をわたしは見たい、と言ってた
気がする。台詞は間違ってるかもしれ
ないが、それが頭をよぎった。しかし
まったくいっこうに、走馬灯のような
ものは見えなかった。なんだぁ、うそ
じゃんか、人が死ぬのって、ただ苦し
いだけじゃんかって思った。そして、
あぁ、もうほんとだめだ、ほんと死ぬ
んだと諦めた、その瞬間、画面が真っ
暗(正確にいうと薄真っ暗、瞼を閉じ
た感じ)になった。


その後の記憶はない。


●脱出

なにが、どうなってか数十秒後、私は
運良く流れから出れた。深い夢から覚
めたように水面から顔を出せた。そし
て腹いっぱいに空気を吸い込んだ。仰
向けになったら、空が青すぎた。激し
く気持ち悪かった。ただ、生きてるっ
て思った。そして、ゲロゲロ吐いた。
全身動かず、頭がはちきれそうだった。

みんな、私が死んだと思ってたらしい。
助けに出れなかった、学生は後で悔や
んでいた。彼は、水泳のインターハイ
で上位らしい。しかし、もし助けにで
たら、彼が死んでいたかもしれない。

運良く、その場に、フランス人の医者
がいた(ほんとか?)。彼が見てくれ
た。とにかく安静にしろといわれた。
だから、バスの中で横になった。深い
睡魔が襲ってきた。しかし、もし寝た
ら今度こそ死ぬんじゃないかと思って、
必死に堪えた。でも、寝てしまった。
数時間後、みんなが帰ってきて起きた。
だいぶすっきりした。そして、今こう
して文を書いている。
 
●不安

なにか、今生きているのが不思議でし
ょうがない。また不安でたまらない。
水に飲まれた時は、それなりに冷静を
装えた。しかし、今はそれができない。
後から緊張が押し寄せているのか?一
体何なのかしら?

●冗談

昨日の晩、同じ滝のツアーに参加した
旅行者にたくさんあった。みんな口を
揃えて、あれはジョークだと思ったと
言っていた。ある人には、迫真の演技
だと評価された。死の一歩手前の演技
だったとしたら、私はそうとうな役者
だ。その日の晩飯の時もその話で持ち
きりだった。半端なく特上なネタだ。

●動機

それと、あの時、なぜ、滝ツボに飛び
込んだのかがわからなかった。踏み切
りの音を聞くと線路に飛びたくなる衝
動と同じか?タナトス(死の欲動)か
?それともただの馬鹿か?私は間違い
なく、後者でしかないと思っている。

●結果

あらためて人生諦めが感じんなんじゃ
ないかと思った。私は激流から出るの
を諦めた。諦めたからおそらく身体が
自然に流され水面に出れたのだと思う。
あらためて自然には逆らうなと思った。
とにかく自然に身を任せるのがいいと
思った。

(不自然な政府や企業は別です。)

それと、もし、あのまま私が死んでい
たら、死後の世界は間違いなくない。
死=真っ黒、無、としかいいようがな
い。

しかし、もしかすると、その先に霊界
があるのかもしれないが…。


プロフィール

志賀直輝 

Author:志賀直輝 


志賀直輝 a.k.a. kitou seishi


海外逃亡をへて4年ぶりの糞賃労働の日々。パートナーの出産と共に主夫強制引退。現在は、育児と保守的な職場内で闘争実施中。近い将来は、子連れ狼になりたい。


と思っていたが、原発事故によって一寸先は闇、現在、原発猛反対中。文字通り、お先まっくろ(アナキスト)でございます。どいつもこいつも、金、金、金、みんなでアナーキーに生きるしかない!原発や原爆の原料になるウランのある山を畏怖し近かづかなかったインディヘナたちは、7世代先の子どもたちのことまで考えていたらしい。っていうんだから、アナーキーかつインディヘナなように!

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